柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「悪との対決」 使徒16章16-24節

今日は使徒の働き16:16節から読んでいただきました。パウロユダヤ人の救いを願ってキリストを伝えていたのですが、彼らは聞こうとしない。そして、行く先々で道が閉ざされる。そのことが16章の前半に出てきます。私たちもやることなすことが全部だめだ。全く何をやってもうまくいかない、ということがあります。しかし、それでも大丈夫です。神様は必ず道を開いて下さいます。


1,悪霊の働き
パウロもうまくいかず、寝るしかないときがありました。その眠りの中に幻を見たのです。それは一人の外国人が「私たちを助けて下さい」という幻でした。私たちも行き詰まってしまうとき、神様は幻を与えて下さいます。クリスチャンには祈りがあります。祈る中に神様は必ずみことばをもって答えて下さいます。
パウロは一緒にいたシラスやルカにこのことを話しました。彼らの心には「神が私たちを招いて福音を宣べさせる」と確信が与えられたのです。
但しその伝道は簡単なものではありませんでした。後に、着物をはぎ取られムチで打たれることもあったのです。それでも彼らはくじけなかったのです。
ここでの問題は悪霊の働きです。占いの霊に憑かれた女奴隷が16節で出てきます。聖書では占いは禁じられています。(参照―申命記18:10,14)それは神から来るのではなく、この世のものから、悪しきものから来るものです。決してそれは幸せをもたらすものではなく、人を惑わし迷わせるものともなります。
日本でも『いたこ』『ユタ』と呼ばれる人が現代でもいます。ここに出てくる女奴隷は、決して自分の自由意志でもって占いをしていたのではなく悪霊の働き(ピュートン、ピトン:アポロによって退治された大蛇)によって行っていたのであり、主人に利益を得させる金儲けの道具にしか扱われていませんでした。おそらく彼女の苦しみは普通ではなかったと思います。それでパウロが来たとき、救いのことを叫び続けました。(17節)

2,救いの御業
この女奴隷は、パウロの後についていきました。彼女自身悪霊に支配され、苦しかっただろうと思います。そして悪霊から自由になるときが来ました。女奴隷はただ「救いの道」を叫び続けていただけですが、パウロにとっては迷惑なことであったのです。そしてついに彼は「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出ていけ」と宣言したのです。即座に悪霊は退散しました。
これは使徒3:6でペテロが足の不自由な男性に言ったのと同じ言葉です。「キリストの御名」によって命じたのです。キリストの名には力があります。先週も見ましたように、使徒4:12に「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」とある通りです。

3,悪に対する勝利
このことに対して、パウロの身に大変なことが起こりました。儲けの望みを失った奴隷の主人たちが怒って彼を訴えたのです。ローマの長官たちの前で彼らは訴えられると、なんと調べもしないでパウロたちは服をはぎ取られムチで何度も打ちたたかれたのです。こんな理不尽なことはありません。
かし、彼らはそのことに対して、文句も言わず怒りもせず、自分の正しさをも主張せず、その成り行きのままに甘んじたのです。なぜでしょうか、彼らの心には十字架のキリストが生きておられたのです。彼らはキリストのように行動しました。
キリスト御自身も自分が十字架に付けられるとき、何の抵抗もされないで、されるがままに身をゆだねられたのです。
そして彼らは、獄中にあっても打たれた傷が身にしみる中にも、神を誉め讃え賛美したのです。そしてすべての囚人が黙って聞いていたのです。おそらく一筋縄に行かない荒くれどもの男たちであったろうと思いますが、それこそ幼子が母親の子守歌を聴くように黙って聞いていたのです。それは神の大いなる救いの始まる前兆でした。
私たちも、悪に対して負けてはいけません。手を出したら負けです。やり返したら負けてしまいます。パウロはなんと言ったでしょうか。「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」「そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。」(ローマ12:20,21参照)

私たちは悪に対して善をもって、キリストの十字架の愛をいただいて勝利したいと思います。

              (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)