柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の完全タイミング」ガラテヤ4章4-5節

            



しばし、世の人たちは、キリスト教信仰を誤解します。人々は時間を取って福音を注意深く聞かないので間違った結果を出します。

初代のクリスチャンたちはイエス様の教えに従う故に辱められたり、非難されたり、殺されたりもしました。彼らは国家反逆罪で訴えられたりもしました。彼らは本当にローマ政府を転覆させる計画をしているように思われたのです。これは真実でありません。それはクリスチャンたちが本当に求めていたことの誤解であったのです。彼らの言っていることに注意深くするなら、初代のクリスチャンたちはこの世の王国を造ることを求めていたのではないことがわかります。彼らはシーザーやローマを倒そうとしていたのではないのです。

一世紀のクリスチャンたちの詳細な研究は彼らが力によって異教徒を征服しようとしたのではないことを明らかにしています。彼らは未信者に対して思慮深く、祈り深く、生き生きとしていたのです。彼らの武器は肯定的であることです、否定的ではありません。彼らは祈り、みことばを伝え、福音のメッセージを明らかにしたのです。

その結果、これらのクリスチャンは劇的に当時の世界に衝撃を与えたのです。ついには、彼らは勝利したのです。2000年後の今日、この戦略はまだ何百万人もの日本人をキリストに勝ち得る優れた計画です。

個人的に言えば、私にとって関西フランクリン・グラハム・フェスティバルの大きな働きに加えさせていただけることは大きな特権です。この大動員の働きは大阪城ホールで関西フランクリングラハムフェスティバルの本番が始まる前の私と皆さんが参加できる大いなる備えのときです。この考えは、キリストを家族や友人近所の人、職場の同僚やただの知り合いの人でも10月の大阪城ホールの大会にお誘いし、キリストを分かち合うことです。言い換えれば、動員すると言うことは関西フランクリングラハムフェスティバルの大切なカギとなるものです。大動員は日本をキリストに導く実際的で力がある方法です。

カギとなるポイントの第一は,神の偉大な計画は“世の基”がなる前に神の備えによって(または大動員)始まりました。それは神の何千年にも及ぶ備えを持った大いなる贖いの計画でした。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです」(エペソ1:3〜6)

言い換えれば、大いなる動きがありました、神御自身による偉大な動員です、世の基がなる前に、人類の歴史の中に偉大な出来事に備えるためにです。この出来事は非常に短い時間でした。これは創造主の大いなる計画でした。動員する努力は何千年もの時間が掛かりました、キリストがこの世に来られるために道を備えるためにです。イエス様はローマの十字架の上でご自分のいのちを与え、人類を贖うためにこの世に来られました。
思い起こすなら、今日ローマはどこにあるでしょうか。もはや世界的力はありません。ローマの偉大な皇帝たちの名前を覚えていますか。ほとんど覚えていません。しかし、私たちはペテロやパウロヨハネとアンデレ、それらの名前は覚えています。彼らはキリストの弟子であり友でした。彼の死後三日目にイエス様は偉大な力と勝利の中に墓からよみがえられました。これが復活です。そうです、イエス様は今日生きておられ、新しい弟子を、神の偉大な計画の一部となる友を求めておられます。
まず最初に、神の偉大な活動の取り組み…キリストが来られることの備えであり、そして、キリストの死という大きな出来事、彼の葬りと墓からの勝利の復活でした。


カギとなる第二のことは、キリストの死と葬りそして復活は神の偉大なご計画の重要な焦点でした。

聖書では、すべてのときの最も偉大な出来事は、この世の歴史の中でほんの僅かのことでした。これはイエス・キリストがこの世の罪の代価を払われたときです。イエス様がローマの十字架の上で死なれたときです。
しかし、聖書は私たちにイエスの死は定めのときに起きたと言っています。ガラテヤ書4:4,5には「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」とあります。

イエス・キリストの死と葬りそしてよみがえりによって、私たちは今キリストを受けいれる、彼の無代価の救いの賜物を受ける機会が与えられています。これは私たちの罪の赦しを意味し、喜びと平安の人生を意味し、これは私たちに人生の本当の意味と目的を与えてくれます。
空しさと悲しみの人生ではなく、キリストにあるいのちは喜びに満ちた豊かな人生を意味するものです。キリストにあるいのちは天国でキリストと共なる永遠のいのちの希望を持つことを意味します。これが神の偉大なご計画の中心的テーマです。キリストの死と葬りよみがえりこそが全人類に罪から救われる機会が与えられ、全能の神との交わりを得させる道を作ってくださったのです。「私たちが子としての身分を受けるようになるためです」(ガラテヤ4:5)

カギとなる第三のポイントは、神の偉大な計画が今日も続いていることです。福音が宣べ伝えられたり、キリストの教会が建てあげられることにより、たくさんの新しい人々が神の家に受けいれられることによってです。キリストの王国の市民なのです。

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」 (エペソ2:19〜22)

福音こそ永遠に残るものです。イエス様はどの人にも、女性にも男の子も女の子も永遠のいのちを得るチャンスを与えて下さっています、それは生きていて愛して下さる主との交わりを意味しています。それは人生の喜び平安、生きることの本当の意味と目的を意味します。豊かな人生です。今日が大いなる救いの日です。イエス様は福音を持つことについてこう言われました「 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタ 16:18)

歴史を通してキリスト教を滅ぼそうとする数え切れない攻撃がありました。しかしこれらの企てはいつも一つの簡単な理由によって失敗します。それはキリスト教とはキリスト御自身だからです。イエス・キリストと彼の教会は最後に勝利するのです。イエス・キリストは彼の王国を建てます。そして私たちも彼と共にいる故に、私たちも最後に勝利するのです。これは人類に対する神の偉大なご計画のほんの一部なのです。


今日はあなたが神の偉大なご計画の中に入るチャンスです。全能の神は私たちが神との関係が持てるようにあらゆる手段を尽くして、準備して下さいました。そして神は歴史の特定のときに、御自身のひとり子イエス・キリストを地上に送って下さいました。彼のいのちを世の罪の代価として与えるためです。しかし、三日目に偉大な力を持ってイエスはよみがえられたのです。これが復活です。そしてついに私たちは神の家族として助け合い、神の偉大なご計画の中に入るのです。私たちはイエス様を救いの無償の贈り物として受けいれるのです、そしてこのすばらしい救いを他の人にも語るのです。

               (宣教者:ニアイナ・ラベタフィカ師)