柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主の命令」 マタイ28章19-30節 

エス様は復活され、ガリラヤで弟子たちと会われました。ガリラヤ湖畔で弟子たちは漁をし、一匹もとれなかったのがイエス様の言われたとおりにすると多くの魚が捕れました。そしてイエス様は食事の用意をされ、そこで食事を共にしました。その後にイエス様は弟子たちに大切なことを命ぜられました。それは今日にも願っておられる神の命令です。

1.主の命令とは

(1)キリストの弟子を作ることです

19節に「あらゆる国の人々を弟子とせよ」とあります。それは世界中にいる全ての人々を指しています。白人だけでなく、黒人も黄色人種もありとあらゆる人を含みます。ですから真の信仰は、どんな国でも、どんな人でも信じることができるのが本当の信仰だと言えます。ある特定の国でしか伝えられていない、ある特別の人しか信じていない、とするならそれは真理とは言えないと思います。その意味では聖書ほど多くの言語に訳され、伝えられているものは他にありません。聖書の言葉は全世界共通の真理であり、信仰であると確信します。
そして、「弟子とせよ」と言われています。だれの弟子でしょうか。イエス・キリストの弟子です。日本はタテ社会でその影響を強く受ける場合がありますが、信仰においては人の弟子になるのではなく、キリストの弟子になることです。ガラテヤ人への手紙 4:19に「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」とパウロは言っています。彼は彼の弟子を作ったのではなく、キリストの弟子を作ったのです。そして彼は「あなたがたの  内にキリストが形造られる」といっていますが、それが彼の中心的使命でした。そして私たちもそうあらねばなりません。人の弟子ではなく、キリストの弟子、すなわちキリストが生きられたように生きる、キリストが私たちを愛されたように、私たちも愛するものとなる。それがキリストの弟子になることです。そしてイエス様はその弟子をつくりなさい。弟子としなさいと今も命じておられるのです。                          

(2)バプテスマを授けることです

バプテスマとは洗礼のことです。洗礼を授けることです。それが私たちの教会の使命です。単に信仰が好きだから、楽しいからで集まっているのではありません。バプテスマを授ける、すなわち「救いにあずからせる」という目的が、イエス・キリストを信じたものには、そしてキリストの教会にはその使命があるのです。マルコの福音書16:16に「信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます」とイエス様は言われています。救いを与えることが教会の一番大きな使命です。
そして「御名によって」とありますが、それは権威を表します。牧師個人のの権威で授けるのでなく、父と子と聖霊の名によってです。そしてこの御名は単数です。父と子と聖霊、三人ではないのです。複数形でなく単数形で御名となっています。それは三位一体の神をあらわすものです。その神の名によって洗礼が授けられる、救いが与えられるのです。

(3)主の命令を教えることです

エス様が命じておいた全てのことは何なんでしょうか。それはヨハネ13:34に「新しい戒め」とあります。先に神は十戒を与えられました。それを要約するなら「神を愛し、人を愛すること」です。
しかし主は、新しい戒めを与えられました。それはイエスに愛され、その愛をもって互いに愛することです。私たちは教会でその十字架の愛を他の人に教えなければなりません。それは机の上だけのつめたい学びではないのです。むしろ血の通った、心のある教えです。それには「産みの苦しみをする」と言ったパウロのような忍耐と信仰が必要です。身をもって教えることは苦しいことであり、忍耐することなのです。しかし、そこにはまたそれに優る喜びがあるのです。お産は大変です。しかし、子どもが生まれると苦しみを忘れてしまうほどに嬉しくなります。
新しい命が生まれると、苦しみも喜びに変わるのです。魂の救いもそれと同じです。


2.神の命令を遂行するものがあります

それは神御自身です。主は「私は世の終わりまで、あなたがたと共にいる」と言われました。神は遠くにおられる方ではありません。私たちのそば近くに、いや私たちの心の内に住んで下さるお方でなのです。その方が「私はあなたと共にいる。おまえは一人ではないんだ」と励まして下さる方です。
死んでよみがえった方は、時間の制約も場所の制約も受けられません。いつも私たちと共におられ愛して下さる方でなのです。その方によって、神の命令は成し遂げられるのです。
ジョージ・マセソンという人は突然の失明により、愛する婚約者から「婚約解消」を言い渡され、孤独と絶望の中に泣きました。しかし、その深い悲しみの中で彼はキリストの大きな愛に触れることができたのです。「われを放たざる愛に憩いつつ、わが受けし命、なが深き海に帰しまつらん」と不朽の賛美歌(聖歌282)を歌いました。
キリストのこの無限の愛によって、私たちははどんな苦難の中にも立ち上がる勇気、前進する力が与えられます。主は私たちの内に生き働いて、神の命令を遂行されるのです。


                               (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)