柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストはよみがえられた」第1コリント15章17-22節

イースターおめでとうございます。今日はイエス・キリストが死の中からよみがえられた記念すべき日です。このイースターからキリスト教が始まったと言っても過言ではないと思います。それほどに重要な日です。
それまで安息日は土曜日でしたが、イエス・キリストがよみがえられたこの日曜日を記念して、イエス・キリストを信じる者は共に集まり、神を礼拝するようになりました。この日にキリストを礼拝し、私たちも復活の力に預かりたいと思います。 御言葉にあるように、もしキリストがよみがえられなかったら私たちの信仰はむなしいし、希望も喜びもなかったでしょう。しかし、事実キリストはよみがえられました。そして私たちには将来の望みが与えられているのです。

私たちはここに復活により与えられる三つの保証を見いだすことができます。


1.罪の赦しの保証

17節「よみがえられないのなら…罪の中にいる」すなわち罪が赦されず、苦しみの中にいることになります。キリストを裏切ったペテロはペンテコステのとき、彼は立ち上がり、キリストの十字架を語り、罪の赦しを語りました。群衆みんなが無実のキリストを訴え、十字架に付けたことが分かったとき、人々の心は刺し通されました。無実の人をよってたかって苦しめ、そして十字架に付けたことを苦しく思ったのです。その罪が赦されるために、救われるためにはどうしたらいいかとペテロに聞きました。ペテロは悔い改め、キリストの名によってバプテスマを受けることを勧めました。その日三千人の人が信じて救われたのです。罪が赦されたことを信じ、交わりに加えられました。私たちも、心の罪から解放されたらどんなにか楽だと思います。キリストは私たちの罪を十字架で赦して下さり、死からよみがえってその救いを完成されたのです。ペテロはじめ弟子たちは復活のキリストに会って罪の赦しの確信を得たのです。彼らは復活の主を見て喜びました。


2.永遠の命の保証

20節に眠った者の初穂としてとあります。キリストは復活の最初となられました。そのキリストを信じるなら、だれでもキリストがよみがえられたように、よみがえると言っているのです。イエス様自身「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11:25)と言われたとおりです。信じるものには永遠の命が保証されています。ですから、クリスチャンにとっては死は永遠の滅びではありません。まさに眠りのようなものです。目を閉じて、開いたらそこはパラダイス、天国なのです。あの十字架に付けられた、強盗にもイエス様は「あなたは私と共にパラダイスにいる」と約束されました。信じるならどんな人にも永遠の命の保証を与えて下さいます。


3.キリストによって生かされる保証

死が一人の人によってもたらされました。それはアダムが神の約束を破って、食べてはならない木の実をとって食べたことです。それによって罪が入り、私たちは罪の結果死ななければならなくなったのです。聖書は「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)と言っています。そして私たちは生まれながらに、アダムの性質を受け継いでいるのです。それは自分の過ちを認めない、自分から悪いと言わない、それが私たちの古い性質、自我の現れです。
死ぬべき私たちに、神は新しい生き方、新しい命を与えられました。それはキリストを信じて生きるという生き方、まさに新しい命です。私たちは滅びるものに頼るでしょうか。そんなことはありません。しっかりしたもの、倒れないものを信じ、それに任せようとします。私たちは、死んでしまった人と死んでよみがえった方とどちらを信じるかと問われるなら、死んでよみがえった方を信じると思います。
 まさにこの手紙を書いたパウロは、死んでよみがえったキリストを信じ、彼は変わりました。どんなに苦しい目に遭っても、弱音を吐いたり、愚痴を言わなかったのです。それはガラテヤ2:20にあるように、キリストと共に自我が十字架に付けられ、そしてもう自分で生きない、キリストが私の内に生きておられる、その生き方になったのです。もう自分で悩んだり、あれをしようかこれをしようかと迷ったりしない、キリストがされるように生きる、自分はキリストによって生きるんだ、と決心したのです。それは彼だけではありません。聖書を読み、キリストを信じるなら、私たちは全てそのように生きることができます。22節にキリストによってすべての人が生かされる。とある通りです。
私たちもあれこれ考えて悩むよりは、死んでよみがえられたキリストに全てをお任せする、その方が楽です。

キリストは私たちのすべてを赦し、永遠の命の保証を与えて下さいます。このことを信じて生きたいと思います。


                          (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)