柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの豊かさ」ルカ2章11-12節、第2コリント8章9節

クリスマスおめでとうございます。クリスマスとはどんな意味でしょうか。ごちそうを食べて過ごしたり、プレゼントをもらうだけの日でもありません。クリスマスは、「キリスト祭り」キリストをほめたたえる、感謝するときです。
それはローマ時代に始まりました。なぜ12月25日かそれは当時、農業のお祭り冬至祭が行われていたようです、クリスチャンは偶像を拝見ません。それで彼らは、キリストの誕生をお祝いした、それが始まりのようです。ついには、ローマの農業祭はすたれましたが、クリスマスは2000年たった今も全世界で祝われているのです。その喜びは何でしょうか。


1.キリストは私たちを恵んで下さる

?コリント8章9節に「主イエス・キリストの恵み」とあります。恵みとは、ギリシャ語ではカリスと言いますが、思いやり優しさという意味があります。イエス・キリストの恵みとは、キリストの思いやりや優しさです。福音書を見るとまさに、キリストの優しさを見ることができます。病気の人を癒し、苦しみや悲しみの中にいる人を励まし、勇気づけました。そのキリストは死んで終わりではなかったのです。復活し、人々に現れ天に昇られました。そして、それを信じた人々は大きな慰め、力を得たのです。
?コリント8章1節にマケドニアの諸教会に与えられた神の恵みのことが記されています。極度の貧しさの中にあったにも関わらず、彼らは満ちあふれる喜びによって惜しむことなく施す人に変えられました。恵み豊かな人となったのです。「施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。」(箴 11:24)と聖書にあります。
神は私たちを豊かなものに変えて下さいます。


2.キリストの謙遜によって救われる

「主は富んでおられたのに、私たちのために貧しくなられた」と聖書は言っています。それは何を意味するのでしょうか。
マケドニアにいるクリスチャンたちは、「自分たちは貧しいからもうこれ以上献げられない」とは言ませんでした。
それはキリストがこの世に、ベツレヘムの家畜小屋で生まれたことに関係があります。キリストは神の御子であり、天において神の栄光のまっただ中におられました。しかし、私たちを救うために人となって、この世に、しかも、宿屋にも泊めてもらうことができず、家畜小屋でお生まれになったのです。
キリストはどれだけ大きな富を手放されたことでしょうか。それは天の御国の栄光をすべて捨てられたのです。そして、どれだけ貧しくなって私たちを救われたでしょうか。それは、宿屋に泊めてもらえず、家畜小屋で生まれなければならないほどに貧しくなられたのです。しかも、ナザレの田舎の大工の子として30年の貧しい生涯をすごし、3年半の伝道生活の後、十字架にかけられ殺される、死の他何も報いられない地上の生涯でありました。ピリピ人への手紙2章6〜8節に「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」私たちはまさにキリストのへりくだりによって救われたのです。
私たちも、キリストの十字架を仰ぐときに、へりくだることができます。そればかりか、キリストの貧しさによって、心豊かな憐れみ深いものに変えられるのです。キリストが私たちのところにお生まれなさったことを心から感謝しましょう。


                      (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)