ローマ人への手紙はローマにいるクリスチャンに宛てて書かれた手紙です。「すべての道はローマに通ず」と言われるようにローマはその当時世界の中心地でした。いわば地の果ての辺境地で始まったキリスト教の信仰ははそこにも伝えられ、さらには8節にあるように全世界に伝えられるようになりました。その原動力はなにか、そして私たちもその力に預かりたいと思います。
1.福音の力
福音は単なる人の考え、思想やよい教えではありません。福音とは「よい知らせ」英語ではグッドニュースです。何がよい知らせかというと「救い主が来て、救って下さる」と言うことです。私たちは実際にそれを体験することができるのです。
福音には力があります。人を救う力があるのです。ここにユダヤ人ギリシャ人とでています。ユダヤ人とはしるしを求める人の代表です。見たら信じるという人です。ギリシャ人は知恵を求めます。自分の理屈にかなうことなら信じてやろうという人です。どちらも救われるには難しい人かもしれません。そのような、ないと信じない人も、理屈っぽい人も救う神の力だと聖書は言っています。どんな人でも救われるのです。福音には不可能はありません。
神の力、ギリシャ語ではデュナミス、英語のダイナマイトと同じ語源です。大きな岩おも吹き飛ばす力があるのです。それはむしろ堅ければ堅いほど威力は大きいのです。砂地でダイナマイトを爆破させても、砂が飛ぶだけですが、かたい岩盤に仕掛けて爆破させると山さえも崩れます。パウロもある意味堅い人でしたが、神に捕らえられ、後大使徒となって福音のために用いられました。あの人は無理だと思う人も神様は必ず救われます。私たちは信じるだけです。信じるなら救われると約束されています。クリスチャンも信じ、また救われていない人も信じて下さい。神は必ずあなたを悩みから救われます。
2.福音に神の救いが現れる
16,17節はローマ書の要約だと言われています。ここに福音、救い、神の義、信仰といったことばが全部出てきます。そして17節は歴史においても大きなインパクトを与えた御言葉です。宗教改革を行ったマルチン・ルターはこの御言葉により確信を得て改革をおこないました。
私たちも、自分の心の中が新しくならなければなりません。改革されなければならないのです。神の義とは、イエス・キリストにより十字架で罪が赦されることを意味しています。そして神が私たちを義と認めて下さいます。あなたは私の目には正しいと神に宣告されるのです。義と認められた人、その人は信仰により新しく生まれ、信仰に生き、そして信仰によって永遠に生きるものとされるのです。
キリストを信じるものは滅びません。永遠の命が与えられ、天の御国で永遠に満ち足りた生活を過ごすことができるのです。神にはそれができます。私たちを救う力があるのです。不可能なことも可能にされます。私たちを救うためには奇跡さえも行われるのです。
福音は今も全世界に伝えられています。それは神の大きな力です。私たちも全てを神の御手にお委ねし、福音の恵みの中に生かしていただきましょう。
(説教者:柏原教会牧師 西本耕一)