柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「まことの安息」マタイの福音書11章28-30節

「まことの安息」という題でお話しします。

日曜日は休みの日です。実は、これは聖書に起源があるのです。もとは土曜日が休みでした。それは、聖書の創世記を見ると神様は6日かけて全てのものを創造され、七日目に全ての働きを止められて、聖なる日とされました。それが安息日の始まりです。

出エジプト記20:8には「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」とあります。ですから、人間には6日働いて1日休む日は必要なことです。フランス革命のとき、10日に一回休むことにしたそうです。生産能力が上がるかと思っていたのが全く逆で、人々は疲れはて、集中力が無くなり、事故や怪我が多発し生産力は低下してしまったそうです。ですから一週間に一度休むことは私たちに必要です。

一週間は日曜日から始まっています。それはイエス・キリストが死から甦られた日です。この日曜日が、安息の日となったのです。 私たちには、安息が必要です。人は誰でも重荷を負って苦労しています。今日も新聞やテレビを見ると、痛ましい事件が次から次へと起こっています。いずれもみな、人生の重荷を下ろす場所をしらないところから起こった事件では無いでしょうか。心の安息を得るためにはどうすればいいでしょうか。

1.キリストの元に行くことです。

私の所に来なさい。とキリストは招いておられます。ある岸壁で、人生の重荷に耐えきれなくなり、自殺しようとさまよっていた人が、看板をみて、重荷を下ろす場所を教えられ、そのために救われた方がいます。そこには、「神は愛なり」と書いてあったそうです。その神とは、救い主イエス・キリストです。
 キリストが、私のもとに来なさい。休ませて上げると言われおられるのです。聖書の「休ませる」という言葉は、竪琴の弦をゆるませる、という意味があるそうです。すなわち緊張の糸をほぐすことです。イエス様は私たちの心の緊張を解きほぐして下さいます。まず、ゆったりとすることです。

2.キリストのくびきを負うことです。

29節に「くびきを負うとたましいに安らぎが与えられる」とはっきり約束されています。
くびきとは、鋤などを家畜の首にかけて、引かせる道具です。私たちの人生は、まさにくびきをかけられて、働かされるようなところがあります。くびきをかけられると自由がなくなり、重荷だけになります。しかし、イエス様は「わたしのくびきを負って」と言われました。イエス様のくびきとはなんでしょうか。
当時ユダヤの国で、牛にくびきを引かせるとき二頭立てのくびきで引かせました。一方には熟練した牛、もう一方には若い牛をつけて、共に引かせたそうです。若いのは力任せにやり、疲れてペースが落ちますが、熟練した牛は、力配分を心得ており、一定のペースで仕事を完全にこなすことができるのです。
 ですから、わたしのくびきを負いなさいと言うことは、自分は一人じゃない、イエス様が共にくびきを負って下さる。イエス様が、自分のこの重荷をも一緒に負って下さるんだ。大丈夫だと信じる事です。イエス様は心優しく、謙った方です。私たちを生かすために、私たちの重荷を負って下さり、むしろそれ以上に私たちをも背負って下さる方です。
エス様は十字架で死なれました。それは、私たちの失敗や過ちを赦すためでした。私たちの心の悲しみ、重荷はどうやっていやすことができるでしょうか。
エス様だけが私たちを赦し、いやすことができるのです。「その打たれた傷によって私たちはいやされた。」とありますが、イエス様はその愛によって私たちを受け入れ癒して下さいます。
 一人でくびきを負う人生から解放され、イエス様が共に負って下さる。そのことを信じて、たましいに安らぎを与えていただきましょう。

                     (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)