今日の聖書の箇所13節に、「だれでも救われる」とあります。それは永遠の滅びから、死から救われることを言っているのです。そして「だれでも」とありますように、人種性別を問わず、老若男女だれでもが救われるのです。神様は差別したり、えこひいきをされません。どんな人でも救われます。たとえ重大な犯罪を犯した人でさえも救われます。しかし、ここに一つの条件があります。「主の御名を呼び求める者」とあります。
私たちも救われるためには天国に行くためには、主の名を呼ばなければなりません。
1.主とはイエス・キリストである
主は主人の主です。文字通り、主人という意味です。それは家の主人、夫という意味でなくて、人生の主、自分の人生の主人という意味です。自分の心の中心にあるものによって、私たちの人生はずいぶん変わると思います。
お金が全てだと思っている人は、お金の価値に換算して人生の価値を計っているのではないでしょうか。ルカの19章にザアカイという人が出てきます。彼はいわば、お金が全てというような生活をしていました。親しい友だちは一人もいませんでした。金はあっても孤独な生活でした。しかし、イエス様が彼の所を通りかかり、そして彼の家に入られたのです。ザアカイは変わりました。金が一番という生活から、イエス様が一番という生活に変わりました。そうすると、とたんに気前よくなったのです。彼は当時、税金を集める仕事をし、ごまかして取り立てをしていましたが、それを4倍にして返すと言いました。普通は倍にして返していたのです。そして、自分の財産半分を貧しい人に施すと言ったのです。おそらくは、多くの人は驚いたでしょう。そして何よりも、人々は彼に近づき、友だちとなり、楽しい交わりができたのではないでしょうか。そして、ルカの書いた福音書をみた人たちが、なるほどイエス・キリストを信じたら、心に迎え入れたら、あれほど変わるのかと納得しただろうと思います。自分の人生の主は誰か、自分の心の中心に何があるかによって、人生が大きく変わるのです。
2.イエスを主と告白する
9節にあなたの口で告白し、信じるなら、あなたは救われるとあります。天国に行ける方法は全く難しくありません。ただイエス・キリストを自分の主人、人生の主であると言うだけのことです。このローマ人の手紙を書いたパウロはキリスト教の迫害者でした。?テモテ1:13に「神を汚す者、迫害する者、暴力を振るう者」だったと自ら告白しているのです。
その彼が変わったのは、復活のキリストに会ったことによるのです。ダマスコへクリスチャンを迫害するために行く途中に復活のキリストに会い、人生が180度変わってしまったのです。彼は使徒9:1を見ると、脅しと殺意に満ちた人でした。そんな人が、キリストの愛と救いを語る人に変わってしまったのです。それが信仰の力です。私たちも信じると生活、生き方が変わるのです。彼は復活のキリストに対して「主よあなたはどなたですか」と呼んでいます。「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」とあるとおりです。彼はただ単純にイエスを主と口で言いあらわしました。それだけで、人生が変わるのです。「告白」とありますが、ギリシャ語ではホモロゲオーという言葉が使われています。ホモは「同一」、同じという意味であり、ロゲオーは「言う」ということです。つまり、心の中で思っていることを口に出す。ただそれだけの単純なことです。
まず、心に信じる事です。それはイエス・キリストが死から甦られた、死に打ち勝たれ、勝利されたことを信じることです。それを信じるなら、義と認められる。「あなたは正しい、間違っていない。滅びに行かない、天国に行けるのだ。」と神様が言って下さるのです。そんなバカな、そんな虫のいい話はないといわれるかも知れませんが、それ以外に方法はないのです。
3.キリストを信じるなら失望に終わらない
イザヤ28:16 では「信じる者はあわてない」とあり、神は恥を掻かされない、という意味があります。全てを神に委ねるなら、神はあなたを守り、支えて下さる。いやそれ以上に、すばらしい人生を与えてくださるということです。
「キリストを主」と告白するなら、私たちは救われ、すばらしい生涯が約束されるのです。
(説教者:柏原教会牧師 西本耕一)