柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「与える幸い」 ルカの福音書6:31-38  

今日、6月第二日曜は花の日です。今から約150年前1856年アメリカマサチューセッツ州のメソジスト教会で子どもの日として始まりました。それは子どもを神のもとにこさせ、神様の祝福をいただいて、子どもを躾ける大切な時としました。その後1870年にマサチューセッツ州の教会で「シャロンのバラの日」と名付けられ子どもと共に礼拝が献げられました。「シャロンのバラ」であるキリストの気品と愛に満ちた麗しさ、そして「野の花を見よ」
とイエス様がいわれたように、花を通して全能の神様を知ることです。

エス様は弟子たちに、「人から親切にされること、何かもらうことが幸せと思っているが、ほんとうの幸せは受けることではなく、与えることだ」と弟子たちに言われました。私たちも幸せになれる法則がわかります。


1.自分の敵を愛することです。

それは私たちの思いや力では不可能なことです。私たちは自分を愛してくれる人は愛せるし、親切にしてくれる人には親切に出来ます。32節を見ると、そんなことは罪人でさえやっているとイエス様は言われます。罪人とありますが、犯罪を犯した人でなく、宗教的にいい加減な人、ルーズな人の意味です。そんな人でも、自分を愛する人を愛し、親切にしてくれる人には親切にできるのです。
敵を愛することで見えてくるものがあります。
それは、自分には敵を愛する愛がないことです。自分は愛に乏しいものであることが分かってきます。自分の姿が見えてくるのです。
そしてもう一つのことが解ります。真の神の愛が解ってくるのです。「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」(?ヨハネ4:8)真の神が分からない原因の一つは愛さないと言うところにあります。本当の神様を知りたいとするなら、人を愛することです。しかも自分の苦手な人、自分に親切にしてくれない人を愛する時、愛のない自分がわかり、そして本当の神の愛が解ってきます。


2.人に豊かに与えることです。

人に与えると自分のもっているものが少なくなる。私たちはそう考えます。しかし神様の法則は、私たちの考えとは大きく異なります。「施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。」(箴 11:24 )惜しいと思って出し惜しみするとますます乏しくなり、逆に気前よく与える人には、人々も又気前よく与えてくれるものです。
私たちはこの世に生きていて、物とか人が目につきやすいのですが、見えざるお方がおられその方が与え助けて下さることを知らなければなりません。そして38節には「与えなさい。そうすれば自分にも与えられます」と神様は約束しておられます。
報いを望まないで与える時神様は豊かに与えられます。私たちも喜んで与えるものになりたいと思います。


                          (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)