柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の助け」詩篇 第46篇 1~5節

 今日は、教会のカレンダーでは振起日礼拝となっています。アメリカの教会で、長い夏休みが終わり、新学期を迎える子どもたちが更に信仰に進むように励ましを与える礼拝をしたのが始まりと言われています。

 私たちも収穫の秋に向かって信仰の面においても神様の豊かな恵みをいただいて実り多い者でありたいと思います。
 今日は、詩篇46編を開きました。神の助けについて学びたいと思います。


1,神の助けはそばにある
 神様は決して私たちを遠い天から眺めておられる方ではありません。詩篇の記者は「そこにある」と言っています。手の届くところにある、すぐに助けて下さる方だと言っています。

 8月オリンピックが開催されましたが、その中で水泳の池江璃花子選手がリレーで出場していましたが、白血病で倒れその中でも「神様は乗り越えられない試練を与えられない」と言われた言葉が心に残っていますが、メダル以上の素晴らしい活躍であったと思います。

 私たちは全能の神を信じる者として、苦しむときにこそ、そこにある最近き助けであることを信じる者でありたいと思います。

 そして、何よりも避け所、逃れる場所であると言っているのです。それはイエス様が「すべて重荷を負って苦労している者はわたしのもとにきなさい」と言われていることを同じです。私たちには苦しいときに逃れるところがある。それはイエス様の懐です。そこに飛び込んでいくなら、私たちは安心であり、力が与えられるのです。

 7月には静岡県の熱海で大きな土石流がおこり甚大な被害をもたらしました。9月に入ってアメリカのニューヨークでも、ハリケーンによる大水害が出ていますが、私たちはいつ何時災いに遭うかわかりませ ん。

 しかし、「神様が必ず守って下さる。」という信仰があれば、私たちの心は平安になり、2節にある「それゆえ、われらは恐れない」という心境になれるのです。

 2節 3節に「山々が揺れ、海のただ中に移るとも。たとえその水が騒ぎ立ち泡立っても」という表現が出ていますが、天変地異が起こる大変なことです。
私は 「 震度 7」 を あるところで 体験しましたが、立っていられません。それは人工の装置で揺り動かされたのですが、それでも立っておられない状態でした。普通でしたらパニックになっていたでしょう。しかし「神は、そばにある強き助け、力」です。 どんなときにも揺るがないのです。


2,神は喜ばせてくださる
 4節に「川がある」とありますが、聖書では「川」は神の臨在の象徴 、また聖霊を表すと言われます。

 その豊かな流れが、神の都を喜ばせ、都は揺るがないと約束されています。神様は私たちをたとえ困難の中にあっても、信仰によって喜ばせてくださるのです。

 教会の早天祈祷会で列王記を学びましたが、その中にヒゼキヤという王様が出てきます。彼はイスラエルの王の中では良い王でした。ところがアッシリアの大軍に取り囲まれて、神の都 エルサレムは風前の灯火となりました。

 そのとき彼は、衣を引き裂き粗布をまとい神殿に行ったのです。彼は心を注いで主に祈りました。主なる神は祈りに応えられて 18万 5千のアッシリアの大軍を打たれたのです(Ⅱ列王 19章 )。まさに神はただ中におられ、都は揺るがず、朝明けまでに勝利を与えられるのです。エルサレムに川はありませんが、ヒゼキヤは泉から水を引き町中に隠れた水路を巡らしたと言われています。それによって民はしのび、待つことができたのです。

 私たちにとって川はいのちの水、聖霊です (ヨハネ 7:37~39)。御聖霊によって私たちの心は癒やされ、必ず主なる神は勝利を与えて下さる。そのことを信じることです。御聖霊は私たちに希望を与え、慰め励ましてくださる方です。
私たちも困難な中、神ご自身を避けどころとさせていただき、力を与えていただきましょう。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)