柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「復活の勝利」Ⅰコリント15章50~58節

柏原教会では季節の変わり目に、召天者合同記念礼拝を行っています。
先に召された故人を偲ぶと共に、神様の約束・御言に立って、天の御国を目指して共に歩んで参りたいと願っています。
1,私たちは変えられる
私たちの体は年と共に衰えます。聖書では「朽ちる」とありますが、やがては死ぬときがあるのです。しかし、死は終わりではありません。永遠への始まりとなるのです。それはよみがえり、すなわち復活があるからです。
私たちの肉体は永遠に続きません。徐々に衰え、ついには死んでしまいます。身体は朽ち果ててしまいます。聖書には、「土から造られた者は土に帰る」と言っています。私たちの肉体は土に帰るのです。しかし、その魂は神のもとに行きます。そして私たちは変えられるのです。栄光の体、朽ちずしぼむことのない永遠の体に変えられるのです。それは一瞬の神様の御業です。
死ぬことは眠りにたとえられます。51節にそのことが出ています。私たちからすれば、先に死んだ人たちはある意味、眠っている状態と受け止めることができます。そして眠りから覚 める時が来るのです。その眠りから覚めるのはまさに「一瞬」のことです。ある人はこのように言っていました。こちら側では「お休みなさい」と言ってその人が眠ったとき(死んだとき)、あちら側(天国)では「おはよう」と言って目が覚める(天国でよみがえる)くらいの一瞬であると言われました。それでしたら私たちは、死ぬことは恐ろしくありません。たちまちのうちに、朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。私たちは朽ちる身体を脱ぎ去り、朽ちない栄光の身体を
着て、天国で平安と喜びをいただいて永遠に生きられるのです。
2,復活の勝利
それでは死の存在はどうなるのでしょうか。私たちは死をどのように受け止めればよいでしょうか。「死は勝利に呑みこまれた」とあります。確かに死は存在します。そして死のとげも存在します。とげは刺すものです。ちくちく私たちの心を刺す針のようなものです。なぜ心を刺すのでしょうか。それは心の中にある失敗、過去の悪い行い、現在も行っている悪習慣が自分の心を刺すのです。それがどこから来るのか。律法です。私たちには、やっていいことと、やってはいけない、定められたものがあるのです。それが律法です。ところが良いことを しようと思ってもできない。かえってやってはいけない悪を行ってしまう。自分は惨めな人間だ。それが死のとげなのです。心を突き刺すものです。それをどうすれば、取り除くことができるのか。ただ一つだけです。それはイ
エス・キリストによって、私たちに勝利が与えられる、十字架と復活です。キリストは十字架によって私たちのすべての罪をゆるし、死のとげを抜き、復活によって死は呑みこまれてしまったのです。信じるなら、私たちはその勝利が与えられます。そして先に召された方々はそのことを信じて、私たちと共に復活を待ち望んでおられるのです 。私たちには時間の制約がありますが、神様の側からは時間の制約はまったくありません。聖書に書かれてあるとおりに、やがての時には私たちは実際に体験することになるのです。
3,主のわざに励む
ですから私たちは復活を信じ、死を恐れないで生きることです。この手紙を書いたパウロは「いつも主のわざに励みなさい」と勧めています。主のわざとは何でしょうか。「愛する」と言うことです。律法の根本は神を愛し、人を愛することです。ですから、愛することの行いは無駄にはなりません。たとえ人が見ていなくても知らなくても、神様はご存じです 。神様は私たちのことを理解して下さっています。ですから、無駄なことは一つもないのです。私たちは信仰を持って神様の喜ばれる「愛のみわざ」に励むものとさせていただきましょう。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)