柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「救いのしるし」イザヤ7章10-14節

 来週はキリストの御降誕をお祝いするクリスマスです。救い主キリストの誕生の預言が2700年以上も前に、イザヤを通して語られています。


 ここにアハズという人の名前が出て来ますが、彼は南ユダ王国の王でした。ユダヤの国は、ダビデにより統一され、ソロモンのときに栄えましたが、その後二つに分裂しました。それは偶像礼拝が原因でした。この世の栄光や権力を求める時、人は争い分かれてしまいます。それを乗り越える道は一つしかありません。真の神—創造主である救い主を信じることです。そしてその約束が、14節の言葉です。マタイ1:23にも出て来る御言葉です。


1,イスラエルの不信仰
 なぜこの言葉が出て来たのか。それは「しるし」という言葉にカギがあります。人はしるし—証拠を求めます。まだ起きていないことや見えないことを話すとき、その証拠を見せろと言われす。また、大きな買い物のときには供託金や手付けを打つ、頭金を払うことがあります。証拠を求められます。
 神様は何と自ら、アハズに、「しるしを求めよ」と言われました。不思議なことです。普通でしたら、神様にお願いする人間が、「そのようになるのでしたら、しるしを見せてください。」と言うのですが、ここでは全く逆で、神様の方から、アハズに「しるしを求めよ」と言われているのです。ところがアハズは「私は求めません。主を試みません」と言っているのです。一見すばらしい信仰のように思えます。ところが実際はそうでなかったのです。
 なぜこんな話が出ているのか。それは、南ユダ王国が、北にあるエフライムとアラムの同盟軍に攻められようとしていたのです。言うなれば、ピンチのときに神様に助けを求めなかったのです。なぜ彼は神様に助けを求めなかったのか。それは、さらに北にあるアッシリアに助けを求めたのです。
 それが実は、災いの始まりでした。なぜならやがては、アッシリアユダ王国は攻められ、エルサレムを包囲されてしまうのです。もし彼が、神を頼みとし、神に祈り求めるならば勝利が与えられたでしょうし、その後の栄えもあったのです。ところが彼は神様に助けを求めず、人の力を当てにしたのです。
 私たちも問題が起こるなら、まず神様に祈ることです。祈ることによって心に平安が与えられ、神様に信頼するなら力が与えられます。イザヤ30:15に「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」と約束されています。

2,救いのしるし
 そして、神様は一つのしるしを与えると約束されました。それは、処女が身ごもって男の子を産むということです。普通はあり得ないことです。それがしるしである。そのしるしをもって、まことの平和が与えられると言うのです。
 アハズは信じませんでした。理解できませんでした。彼はアッシリアを頼みとし、やがては滅びに向かって行くことになるのです。ついにはバビロンによって、ユダヤの国は完全に滅ぼされてしまうのです。
 ところが、イスラエルは滅びませんでした。なぜなら、神様の約束であったからです。アブラハムに子孫を与えると約束され、それがキリストの誕生に繋がり、今日に至っているのです。
 その約束は、私たちにも与えられています。なぜなら、キリストは私たちの救い主であり、諸々の罪から私たちを救われます。何よりも十字架にかかって私たちの罪を赦して下さるのです。
 しかも、インマヌエル—神我らと共にいます。イエス様は私たちと一緒にいて下さる神です。この方が共におられるなら、恐れることはありません。不安に陥ることもなくなるのです。なぜなら、死んでよみがえり、私たちに永遠のいのちを約束しておられるのです。それが神様からの救いのしるしであり、約束です。クリスマスはすべての人に与えられる救いです。救い主イエスが共におられ助けて下さる。このことを心に覚え感謝しましょう。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)