柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の保証」ヘブル6章13-20節

連日暑さが続いています。私たちは、自分の健康に気を付けなければなりませんが、それ以上に魂のいのち、永遠のいのちを持たなければなりません。神様は私たちに永遠のいのちと、この世の幸い―祝福を約束されます。


1,神の約束

旧約聖書創世記にアブラハムという人が出てきます。どこに行くのか知らないで、生まれ故郷を出ていった人です。彼は信仰の父と呼ばれています。信仰とは何かと言うと「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)「それは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信です。 また、何が起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことです」(リビングバイブル)
アブラハムはそれを地でいった人です。ただ神様を信じた。それが彼の信仰です。神様の約束とは何でしょうか。それは「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす」と言うのが神様の約束でした。
彼は、何の苦しみもなく約束のものを得られたでしょうか。そうではありませんでした。聖書は「忍耐の末に」(25節)と言っています。神様の約束は、彼に子孫・子どもを与えられることでした。しかし、なかなか与えられませんでした。
息子イサクが生まれるまで、飢饉という大きな災害に見舞われたり、家庭内でも、側女によって子どもが生まれ騒動が起きることもありました。そして、神様が天の星ほどの子孫を与えると言われて、何と100歳になってようやく子どもが与えられました。約束されてから25年の歳月が経ってからです。それが、「忍耐の末」と言うことなのです。信仰とは忍耐が必要なことです。必要なものは神様が必ず与えられます。神様は私たちに「忍耐」を与えて下さるのです。歴史もそれを証明しています。初代クリスチャンの、信仰による忍耐があって、ローマ帝国キリスト教を国教と認めました。彼らの忍耐がなければ犠牲がなければ、成し得られないことだったのです。


2,神の保証―誓い

約束を守ることは大切です。しかし、なかなかガマンができない、忍耐して待つことが難しいというのが、人間の性質です。
そのような人間に、神様はどのような保証を与えて下さるのでしょうか。それは、誓いをもって保証されました(17節)。私たちも、約束するとき「誓い」をすることがあります。その時は、自分より劣っているものをさして誓うことはありません。自分よりすばらしいもの優っているものを指して誓います。それでは、神様がアブラハムに約束されたとき、何を指して誓われたでしょうか。ご自分を指して誓われたのです(13節)。それは、ご自分以上に優ったものはないからです。神様の約束と神様の誓い、これはアブラハムに取って大きな力となったのです。それ故に、彼は忍耐し続けることができました。神様を信じ続けることができたのです。そして、それは私たちにも可能なことです。


3,初代クリスチャンに与えられた確証

このヘブル人への手紙は、ローマの周りにいたクリスチャンたちに、しかもユダヤ教のことを知っているクリスチャンに書かれただろうと言われています。彼らは大きな迫害苦しみを受けました。しかし、彼らもまた忍耐して、神様の約束を待ち望んだのです。
彼らに与えられた神の約束は何だったでしょうか。それは天国です。18節の「前に置かれている望み」とは天国のことです。彼らはこの世に望みをおいたのではなく、太陽も月も打つことのない天国に移されることを待ち望んだのです。そして、彼らは「力強い励まし」を受けました。それは、神の御言葉と聖霊による励ましです。19節に「幕の内側に入る」とありますが、それも天国を意味することばです。これは、神の幕屋を指しています。しかも、幕の内側とは「至聖所」を指しています。それは、罪の赦しのために、大祭司が年に一度だけ、入ることが赦されたこの地上で最も神聖な場所でした。それは天国をも意味します。 ところが、この聖書を見ますと、イエス様が先駆けとなって入られたと言っています。なぜなら、ご自分が贖いの小羊となられ、十字架の上でご自分の肉が裂かれ、血を流されました。そして、私たちのために今、父なる神の右にあってとりなしの祈りをして下さっているのです。
この方の助けを信じて、初代のクリスチャン達も忍耐し、約束のもの、すなわち天の御国に入ることができたのです。わたしたちもまた、このことを信じるなら、同じように約束に与ることができます。神様は私たちに永遠のいのちを与えて下さり、また、地上における祝福―幸福を与えて下さるのです。

  
     (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)