柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信じる者の特権」ヨハネ1章9-12節

クリスマスおめでとうございます。今日は待降節4週目と言うことで4本のローソクに火が灯りました。今週はクリスマスキリスト降誕をお祝いする時です。


1,救いの光であるキリスト

アドベントには世の光であるキリストを待ち望む意味があります。光がなければ私たちは何も見ることはできません。光があるから私たちはすべてのものを見ることができます。
しかもキリストは9節に「すべての人を照らすまことの光」とあります。私たちの心のうちをも照らしだし、よいものがあるのが悪いものがあるのかはっきりと照らし出されるのです。場合によって人に知られたくないもの、他人に見られたくないもの、隠しておきたいものが私たちの心の中にないでしょうか。そうしたものでさえも神様は明らかにされるのです。そして、私たちが天国に入るに相応しくないものがあるなら、それを明らかにされ、捨てなければならない事を示されます。
もう年末ですが、大掃除をされる方もあると思います。ふだんできないところを掃除すると不要なものがあることに気が付きます。捨てなければ邪魔になって仕方のないものもあります。思い切って捨てることです。私たちの心の中はどうでしょうか。天国に入るのに邪魔なものはないでしょうか。
エス様は、「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:30)
と言われました。イエス様は私たちが救われるに相応しく整えて下さる方です。要らないものは捨て去り、身軽になって天国に入るものでありたいと思います。


2,受けいれられないキリスト

キリストの誕生は実に不思議なものでした。乙女マリアより生まれるという信じがたいものでした。しかし、もし普通に生まれているなら救いはありません。なぜなら、私たちを造られた神ご自身が私たちと同じようになられて、同じ苦しみや悲しみを味わって下さらなければ救いの意味はないからです。
キリストはまさに神が人となられたお方です。万物の創造者であり支配者である方が、私たちを救うために人となって来て下さったのです。
ところがこの世は、そのキリストを受けいれませんでした。まったく歓迎しなかったのです。それどころか、ついには十字架にかけられて殺されたのです。キリストは生まれたときも、宿屋に泊めてもらうこともできず、汚い家畜小屋で産まれました。そして、この地上での生涯の最後は十字架の上で苦しめられ殺されて終わったのです。それはまさに、私たちの罪を赦すために支払われた神様の大きな代価であったのです。キリストは私たちの受けるべき罪の呪いを十字架の上で受けて下さったのです。


3,信じる者の特権

キリストの誕生については、旧約聖書に350以上のメシア預言があると言われています。ユダヤ人たちは聖書を読み、メシア(救い主)を待ち望んでいました。しかし残念ながら、彼らはキリストを拒んだのです。もちろんシメオンやアンナのように老齢になりながらも救い主を待ち望み、幼子イエスをその腕にだいて喜んだ人もいました。が、しかしユダヤ人たちは受けいれないどころか十字架にかけて殺してしまったのです。そしてその彼らの思いは今日に至るまで続いているのです。
ところが私たちは、いままで旧約聖書も呼んだことはありませんでしたし、世界の東の果てにある仏教文化の盛んな国に生まれましたが、神様のあわれみによって救いにあずかることができたのです。神によって救われるべきユダヤ人は拒絶し、救われるべき価値もなかった者が救いにあずかることができるとは大きな恵みです。
どうすれば私たちは救われるでしょうか。それは、ただキリストを心に受けいれる、キリストを信じるだけです。キリストを自分の救い主として信じるなら救われるのです。
ローマ人への手紙10章9節に「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」とはっきり約束されています。
私たちは自分の力で生まれることもできなければ、自分で自分を変えることもできません。しかし、もし信じるなら神様は私たちをご自分の子として受けいれて下さいます。
以前は神も知らず、この世をさまよいやがては永遠の滅びに行くはずの者であったものがただ信じるだけで天国に行ける。これは何という大きな特権でしょうか。
信じる私たちに神の子としての特権が与えられていることは何と幸いなことだろうかと思います。神様が私たちを守り、必要なものすべてを与えて下さり、私たちの目的地天国まで連れて行って下さるのです。
ただ信じるだけで神の子とされます。この特権をむだにすることなく御国に着くまで豊かに用いさせていただきましょう。
 
             (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)