柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しく生きる」エペソ4章17-32節

今日は「新しく生きる」と題してこのところからお話いたします。この手紙はイエス・キリストを信じ新しい人生を始めたパウロがエペソにいるクリスチャンたちに書き送った手紙です。エペソという町は小アジアの港町であり、アルテミスの大神殿があったところです。そこは偶像礼拝の盛んなところでした。日本でいうならば門前町といったところでしょうか。遊興・酩酊・享楽の町であり誘惑が多いところであったと思います。そこに生活しているクリスチャンたちにも様々な誘惑や惑わしがあったでしょう。パウロは注意すべき心得を彼らに書き送りました。


1,空しい生活をしない

17節で「異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」とパウロは語りました。異邦人とは外国人ということですが、ここでは神様を信じていない者の意味です。私たちもかつては神から離れた「異邦人」でした。空しい心で歩いていました。18節には無知、かたくなな心とありますが、かつての私たちも神のいのちから遠く離れていたものでした。そこには感謝も喜びもありません。同じようなことばがロマ書の1章21節にも出てきます。 19節には道徳的には無感覚になっているとありますが、今の日本はどうでしょうか。礼儀正しいとか親切というのは死語になっている感があります。自己中心的、わがままになり人と争い事件と発展していくことが多くあります。
それはある意味クリスチャンでも気を付けなければならない事であると思います。それでパウロはこの手紙をエペソにいるクリスチャンに書いたのです。あなたがたは気を付けなさい、この世に生きているけれどもこの世に同化してはいけない。この世のものに巻き込まれるなと注意を促したのです。


2,新しい人を身につける

それでは、この世に同化しないようにするには、この世のものに流されないためにはどうしたらよいのでしょうか。
パウロは22節で滅びていく古い人を脱ぎ捨てるべきであるといっています。古い人とは、私たちの古い心の性質です。それはある意味私たちがこの世に生まれたときから身につけている性質です。それは、人を欺くものであり、情欲によって滅んでゆくものです。最初の人アダムも情欲に負けてしまいました。取って食べてはならない木の実を取り、罪を犯し、神様から離れていったのです。その結果どうなったでしょうか。自分の失敗を、人にかぶせていったのです。アダムは「あなたが造ったエバが私を誘ったのです」と言い訳をして責任転嫁しました。その性質が私たちの内にもあるのです。しかし、その古い人を脱ぎ捨てない限り私たちは悩まされてしまうのです。
神様は私たちに、その古い人を脱ぎ捨てて、新しい人をきなさいと言われます。24節に出てくる「新しい人を身に着る」とはキリストを信じると言うことです。キリストを信じるなら、私たちは言い訳しなくてもよくなります。言い訳する必要がなくなるからです。ただ素直にすみませんと謝ることができるようになるからです。なぜならば、キリストが十字架の上で、自分を十字架に付けて苦しめる人たちを赦されたからです。十字架で苦しめた人たちの中には、かつての私たちも含まれているのです。私たちはかつてキリストを信じることもなく、不正を働き人を欺き欲に負けて、滅びゆくものでありました。しかし、神様の愛とあわれみの故に救われて、十字架の意味がわかるものとされたのです。そして、その十字架が私たちの生活の中で、古き人を脱ぎ捨てて新しき人を着る力となるのです。


3,聖霊が助けて下さる

30節に聖霊を悲しませてはいけません、とパウロは言いました。聖霊は私たちの心の中に働かれるお方です。私たちの弱い心を助けて下さり、悪しき思いに打ち勝つ力を与えて下さるお方なのです。
26節に怒っても罪を犯してはなりませんとあります、怒りそのものは罪ではありませんが、それを放っておくと罪を犯す危険性が出てきます。「日が暮れるままで憤ったままでいてはいけません」とありますが、怒りがやがて心の悪しき思いを供なって、憎しみや暴力に変わってくる可能性があります。なぜなら、この世にはサタンも働いているからです。サタンに機会を与えないように気を付けなければなりません。そのために、聖霊は私たちの心に働かれ、私たちを守り、証印を押して下さるとあります。それは、私たちは神様のものであると言う焼き印をこの身に受けているからです。だれも手出しはできませんし、神のもとに必ず帰ることができるのです。
ですから私たちは、この世に生きていても、異邦人のようには生活しないで、イエス・キリストによって救われ十字架で罪が赦されたものとして、互いに親切になり、やさしくキリストが愛して下さるように互いに愛し合うものでありたいと思います。

  (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)