柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「あなたの人生は何階建て」テサロニケ人への手紙第一 5章23節

 一般的な考えでは、人間は「たましいとからだ」の二つの部分から成り立っているとされています。しかし聖書では、霊と、たましいと、からだの三つの部分から成り立っていると解いています。先の聖書のパウロの祈りがそれを明らかにしています。
 日本の一軒家はたいてい平屋建てですが、近頃三階建てのしゃれた家も多くなりました。しかしクリスチャンの人生は、最初から三階建てです。

1.私たちは神の最高傑作品です
 一階は食堂で、人はそこで食べたり飲んだりします。これは人の物質的面で、すなわち『からだ』の部分です。人によっては、一生涯この肉体的部分、すなわちからだの部分から出ない人もいます。
 二階は『たましい』で、見晴らしもよく、遠くまで見え、美しい眺めです。私たちはそこで集まって、交わり、話し合います。それは人生の交わりの場といってもよいでしょう。ところが、ここで過ごすことが、ごくわずかしかない人もいます。人間には、食べられるところ、住むところが必要で、これを無視するわけにはいきませんが、食べて寝るだけでなく、愛することや、お互いを知ること、そして喜び、平和、調和のとれた生活が必要です。人はたましいの生活があるのです。
 三階は家の一番高い所、つまり『霊』的な生活の部分です。最も神聖な場所で、私たちは黙想したり、祈ったり、礼拝したり、神と人とが交わり、神から愛や力や勝利や平安を受けるのです。神のみことばを読み、心の中にみことばを蓄え、神を礼拝し、そして神と人のために生きようとする部分です。
 神に造られた人間とは、このような三つの部分を持つ崇高な人格的な存在であることに気づいておられたでしょうか。霊としての部分に気づかないで歩んでこられたことはないでしょうか。

2.私たちの頭上は空いています
 「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように---」とは、随分なつかしい歌になりました。なんとも悲惨な飛行機事故で召された坂本九さんの歌で、大いにヒットし、日本はおろか米国でも歌われたということでした。ある新聞記者が、奥さんの柏木由紀子さんにインタビュ−したとき、「分かっていますが、やっぱり悲しい!」と答えておられました。
 私たちの人生において、「上を向いて!」の声援に反比例して、心をうつむかせられ、落ち込ませることが多いようです。お互い、そんな時に、「自分ではよく分かっています。しっかりしなければだめだ」と言い聞かせてもみます。しかし、そんな程度で立ち上がれるものなら、落ち込みもしません。上を向いても何をみつめ、何をたよりにしていけばよいと言うのでしょうか。ポッカリ浮かんでいる雲を見ていれば何とかなる、といったたぐいのものではないはずです。
 『こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい』(コロサイ人への手紙3章1〜2節)とあるように、上を見上げるとき、そこにキリストがおられます。私たちを、罪による永遠の滅びから救い出される救い主がおられるのです。「人(アンスロ−ポス)」という言葉は、もともと、上を向いている者という意味があります。私たち人間は、本来、神を仰いで生きるように、生かされているのです。これが「霊的」な存在であるということです。しかしながら、人間ははるか昔、神を仰ぐことをやめて、物の豊かさや精神の安定ということだけで満足を得られると錯覚して歩み始めました。聖書でいう「罪」とは、ここにあるのです。
しかし、いったん人が、十字架にかかって死んでくださり、その死から復活されたイエス・キリストを仰ぎ始めるとき、そこに神からの豊かないのちと愛と慰めと力を経験するのです。あなたのために、いつも天は開かれています。

                (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)