柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「幸福になる力」ローマ6章23節

 人は誰でも幸せになることを求めます。どうしたら幸せになれるのか。何が幸せか。幸福の力はどこにあるのか。そのことがこの御言葉には表されています。幸福の根源は神にあり、キリストにある永遠のいのちです。それは、神様からのプレゼントなのです。
それと逆に、不幸があります。貧乏、病気、悩みを不幸と考えますが、聖書は、罪と死で不幸を明確にしています。


1,不幸の姿

 普通人は、お金がないから、健康でないから、友だちがいないから不幸だと思っていますが、聖書は明確に「死」こそが最大の原因と言っています。死には3つ意味があります。

(1)精神の死
 パウロは、あなたがたは「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」(エペソ2:1,2)と言いました。いくらお金があり、健康でも、心が病んでいるなら、憎しみやねたみ、憤り、欲望に負けてしまう弱い心、それは真に精神の死です。喜び、感謝、幸福を感じることができないのです。それは真に「生ける屍」です。ところが、たとえ貧しくても、病の中にあっても、愛喜び平安があればどうでしょうか。感謝が出て来ます。たとえ困難があっても、幸せになれるのです。

(2)肉体の死
 人間は必ず死にます。最愛の肉親を失うことは大きな痛みです。死は、交わりを奪います。もう死んだ人とは話をすることができません。また、やり直すチャンスをも奪います。生きていれば、たとえ失敗してもやり直すことができるのです。しかし、死んでしまうとそのやり直しもできなくなるのです。死はチャンスをつぶし、私たちを引き離してしまいます。
 ですから、私たちの心には不安があるのです。もし死んだらどうなるのか、どこへ行くのかわからない、「人間は罪と死の恐怖の奴隷」になっているのです。

(3)たましいの死
 肉体の死があるなら、魂の死もあるのです。死は無になることではありません。それであるなら、何も恐れませんし、不安になる必要はないのです。しかし、聖書には魂の死、火と硫黄の燃えさかる池―地獄があるといっています。ですから、死を恐れるのです。ですから人間には不思議と、罪の呵責、良心が痛むという思いがあるのです。交通違反をすると、たいていは見逃してくれと言います。私も言いました。しかし、赦されないのです。やがて死んだ時に、すべての人は神の前に出なければならない、裁きを受けることが決まっているのです。
 罪の支払う報酬は死であると聖書は言っていますが、私たちの支払わなければならない罪の代価を、キリストは十字架の上で命をもって支払って下さったのです。そのことを信じるなら、私たちはその罪から解放され自由になることができるのです。そればかりか、新しいいのちが与えられます。この世のいのちではありません。永遠のいのちです。それは、キリストが死の中からよみがえられた復活のいのちです。そのいのちが与えると、困難に打ち勝つことができるのです。キリストは死に対して勝利されました。そして、弟子たちも復活の基督にお会いして、力が与えられ、喜びに満ちてキリストを信じるだけで、魂に喜び力が与えられる、死の恐れも永遠の滅びも怖くはなくなるのです。私たちも、復活のキリストを心に信じて受け入れ、そして永遠のいのちを内にいただいて喜ぶ者とさせて頂きましょう。


                     (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)