柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「子供に与える最高のもの」コリント人への第1の手紙13章13節

                              (夕礼拝)

 「子供をダメにした親たち」と題する本がありますが、精神カウンセラ―の深沢道子さんが書かれた、たいへん示唆に富んだ報告です。そこには、米国のシカゴにある精神クリニックで、三人の精神科医と共に扱った、いわゆる精神的にダウンしてしまった子供たちのケ―スが12例載っています。しかも治療後、20年間、どうなったかまで追跡調査したものです。
 それぞれのケ―スについて、こんな題がついています。「遅れ過ぎた乳離れ」、「他人の言葉に聞く耳持たぬ父親」、「人間不信の泥沼」、「女になりたい男の子」、「過保護の中のドラマ」など、ひとごととは思えません。「真面目すぎることの躓き」などともあり、自分も親としていかに欠けていたか、またどんなに多くの過ちを子供に対して行ってきたかを知らされ、身につまされる思いでした。

Ⅰ.愛し合うことの大切さ
 ダウンした子、しなかった子、ほんの紙一重。親の過ちや責任も、違いは紙一重だと思いました。同時に自分の子供たちに、申し訳ない思いで一杯になり、次の言葉が深く心に残りました。「子供に与える最高のものは、夫婦が愛し合っていることだ」。子供にとっては良い教育環境も、才能を伸ばしてやることも大切ですが、もっとも大切なのは、親が愛し合い、仲の良いこと。その環境の中で長い時間の間に、子供の健康な心、健全な精神が養われていくのです。
 聖書には、『互に愛し合うこと』において大切なことは、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』という言葉の中に要約されていると語られています(ロ―マ13章8〜10節)。つまり、最も身近な隣人である家族を愛するという前提は、自分を愛すると同じように、だというのです。ですから自分を愛することをしない人は、隣人を愛することもしない人になるのです。

Ⅱ.神の愛に生きることが最も大切
 冒頭のみことばに、『このうちで最も大いなるものは』とありますが、そこでは「メガトン級の爆弾」などという時の「メガソス」というギリシャ語が使われています。自分を愛することができない、互に愛し合うことができない私たちを造り変えてくれるものは、「神の愛(アガペ―)の力」しかないのです。確かに、人間は神のかたちに似せて造られたので、人格の中に神の愛を映してはいますが、完全ではありません。結局は自己中心の枠から脱却できないため、利害が絡んで自分に不利益になってもとことん愛し続けるような愛は持ちえません。愛しても相手から同じように返ってこなければ、愛が突如として変貌したりもします。
 ところが、アガペ―の愛は、罪深い者や愛する価値のない者を見捨てずに、自らの身を犠牲にしてでも救いに招き寄せようとする、信じられないほど大きな愛なのです。神の独り子キリストは、神に対して興味も関心も持ったことのない私たち罪人のために、十字架でいのちを捨て、罪の赦しを祈られたのです。ここに、神の愛があるのです。「罪人と言われても、ピンときません」と言われることを聞きます。かつて、ある牧師が、神学生の身でありながら、本当の意味で十字架の意味が分からなかったそうです。けれどもある日、小さい頃からの思い出せる限りの罪を具体的に書き出してみると、出るわ出るわで、罪のリストはすっかり分厚くなってしまいました。その時、目からは涙があふれ出て、「私のこの罪のために、イエス・キリストが十字架についてくださったのだ」との実感がわき、十字架が急に身近に感じられたということです。
 昔も今も、自他に求められているものは、人を愛せない自分を知り、夫婦で、親子で神に祈る信仰です。イエス・キリストの愛を求める謙遜の中に、自らも子供たちも健全に成長させられるのです。

                  (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)