柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「苦闘から確信へ」 コロサイ人への手紙 2章1∼5節

 2章1節に出てくるラオディキア、そしてこの手紙の宛先コロサイは小アジア今のトルコ共和国にあった交通の要所として栄えた町です。

 そこにもイエス・キリストの救いが伝えられ、教会が建てられました。しかし、そこに間違った教えが入り混乱していることを聞き、この手紙を書いたのです。

 

1,心を励ますため


 パウロはコロサイのクリスチャンたちには会っていません。しかし、それでもパウロは彼らのために苦闘していると言っています。それは彼らを愛するがゆえです。
彼はローマの牢獄にいました。遠く離れ会ったこともない。しかしキリストの愛のゆえに彼らとは、信仰のつながりがあり同労者のエパフラスからコロサイの人たちのことを聞き、教会内で問題が起きたときいても立ってもいられない。おそらくは牢獄の中で悶々とし、心は傷み苦しみ切なる思いで彼らのために祈っていたのではないでしょうか。


 私たちも、執り成しの祈りをします。病気の人や困っている人のことを聞いて、その人のために祈ります。すると不思議ですが、その人の痛みや苦しみが心に移ってくるように思われるのです。ですからますます熱心に祈らされます。本当に不思議なことです。ですから病気が癒やされた、問題が解決した、と聞くと自分のことのように嬉しく思うのです。それは不思議な神様の働きです。

 ですからパウロも牢獄の中にあって、ある意味喜んで苦闘していた。喜んでと言うのは語弊があるかもしれませんが、彼もまた信仰の内に神様を通して、コロサイの人たちと交わりを持っていた。なんとかして、神様から励ましが与えられるように、そして愛の中にしっかりと彼らが結び合わさって一つとなるようにと祈っていたのです。

 

2,キリストを知るために

 彼の祈りの目的、コロサイの人たちのために祈ることは、「神の奥義であるキリストを知る」ことでした。それは1章27節にある「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」と言うことです。キリストが彼らの心の内に住まわれる、キリストが彼らとともにおられる、それが一切の問題の解決である、とパウロは言うのです。

 なぜなら、3節に「キリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されている」すなわち神ご自身がどのようなお方か、何をなされる方かが解る、霊的な洞察力、悟り、知恵と知識がキリストのうちにあり、そのキリストが私たちの内に生きておられる、これが信仰の奥義であり、コロサイの人たちが知ることを強く願ったのです。そのためにパウロは牢獄の中で精神的な戦い、苦闘しつつ祈っていたのです。

 

3,信仰の喜び

 しかしパウロには喜びがありました。彼は、コロサイの人たちは必ず勝利する、その信仰の喜びが彼の内に与えられたのです。私たちにもその喜びが与えられます。執り成しの祈りをする中に、必ず癒やされる、苦しみから解放され勝利する、その確信が与えられる時があるのです。神様は共におられます。見放されることはありません。キリストが味方であるなら、誰も打ち負かされることはないのです。

 パウロは4節で「惑わされないように」と祈っています。当時ユダヤ教の律法主義、ギリシャ哲学のグノーシズムと言った異なった教えが教会の中に入り込み混乱を生じさせました。それは、アダム・エバ以来のまことに悪魔の誘惑であり、クリスチャンの心を惑わす者であったのです。しかしパウロは祈りにおいて勝利しました。それが5節にある「離れていても、霊においてはあなたがたとともにいて」ということです。

パウロはコロサイの人たちと一緒にいる。そして神様は必ず守ってくださる。教会の秩序が保たれ、キリストに対する堅い信仰、すなわちキリストこそ真の神であり、唯一の救い主であることを信じ従っている、そのことをパウロは信じて喜んだのです。まだ見ていないけれども、また現実にはまだそのようになってはいないけれども、神様は必ずそのようにして下さる。実現される。パウロは信じて喜んだのです。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)