柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「教会の奥義」 エペソ人への手紙 5章21~33節

 このエペソの手紙は、一言で言うなら教会とは何か。どのようなものなのかを私たちに知らせています。今日は「教会の奥義」と題を付けましたが、32節に「この奥義は偉大です。」とパウロは言いました。教会の奥義とは何か。それは、キリストと一体である。キリストから離れてしまえば、教会のいのちはなくなるし、キリストの目的は教会である。教会はキリストにとってなくてはならない存在である。「ご自分の血をもって買い取られた神の教会」である(使徒 20:8)。その深い関係性がこの手紙を通して解るのです。


1,キリストに従うように

 パウロは、夫と妻の関係を語りました。「主に従うように、自分の夫に従いなさい。」と勧めています。ここで使われている「従う」という言葉は、奴隷が主人に従うようなものではありません。力の強い者に弱い者が従うようなものではありません。むしろ全幅の信頼を持って、お任せします。委ねます。思し召しの通りにします。と言うことです。これはマリヤが御使いに「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」と従って行った信仰と同じようなことです。マリヤは信仰を持って主に従い、神のひとり子を生んだのです。従う信仰なくしてそれは出来ませんでした。

 ですから、従うにも信仰が必要です。21節には「キリストを恐れて。」とあります。キリストを畏れ敬うその心を持って従うと言うことです。
その従順は、教会にも必要なことです。教会とは何か。それは、私たちお互い、キリストによって救われた者の集まりです。30節に「私たちはキリストのからだの部分だからです。」とあるように、キリストの身体です。そして、その頭はキリストご自身です。ですから私たちは、キリストを共に頭と仰ぎ、畏れを持って21節にあるように「互いに従い合う」ことなのです。ですから 私たちも教会にあって、この御ことばどおりに、まず主に従う者、主に仕える者でありたいと思います。

 

2,キリストが愛されたように

 そして夫に対する勧めが25節にあります。「キリストが教会を愛し…ご自分を献げられたように、…妻を愛しなさい。」とあります。この愛は、主体的な愛、積極的な愛、無条件の愛です。たとえ奥さんが岡目であろうが、どうであろうが、愛するという愛です。しかも 「ご自分を献げる」とあります。それは十字架の愛です。相手の罪を身代わりに受けて自分が死ぬという愛です。その愛によって私たちは救われたのです 。十字架の愛なくして教会の存在はありません。教会から十字架の愛がなくなったら、何の意味もないのです。十字架の愛があるからこそ教会は存在するのです。

 26節には「みことばにより、水の洗いを持って」とありますが、聖書のことばを通して私たちは救われ、バプテスマによって信仰を告白するのです。それは「教会をきよめて聖なるものとする」とあります。私たちはいつも、イエス・キリストの十字架の血潮を受けて、心がきよめられている。何の邪心や自己中心的な思いにとらわれていない。キリストの前にへりくだっているという思いがあるでしょうか。御子イエスの血は私たちをきよめる力があります。(Ⅰヨハネ 1:7) この十字架の血潮によって私たちはやがて、裁かれる主の御前に立つ者となるのです (27節)。

 キリストは私たちを、ご自分を愛するように愛されます。自分を愛さない者はいません。キリストは不完全な愛のないような私たちでさえも、深い愛情を持ってたましいを養い育てられるのです。その目的は私たちがキリストに似た者となることです。キリストと教会は一体です。これはまさに神の奥義、神のみ業です。真理の御聖霊が私たちを助け、この事の理解を与えて下さいます。

 私たちはみことばを通し御聖霊によって「私は神に愛されている」と堅く信じ、信仰によってキリストに従う者、仕える者とさせていただきましょう。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)