柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神にある希望」ローマ5章2-5節

私たちはこの世において、様々な困難や苦しみを味わいます。しかし、このことは決してむだなことではありません。神様は試練を通して、私たちの信仰を強くし希望を与えて下さいます。


1,私たちの導き手―キリスト

教会に来るきっかけは様々あると思います。友だちに誘われて来たと言う人もあれば、何かの催し物がきっかけで来られる方もあります。
しかし、私たちを信仰に導いて下さるのは「キリストによる」と聖書ははっきりと言っています。私たちが救われるのは人の功徳や、行いによるのではありません。ただキリストが私たちを救いに導いて下さるのです。
以前、神との平和ということを1節から学びました。この平和は戦争がないというような消極的な意味ではなく、「満ち足りた生活」であると話しました。神様は私たちを満たして下さいます。心の平安も経済的な必要も、そして将来も豊かにして下さる。その約束が与えられるのです。それに導かれるのが、キリストです。
この導くとは、王に拝謁するという意味があります。卑しいものが宮廷で王に会うことができる。それは光栄です。キリストはまさに、父なる神様に私たちを会わせて下さるお方です。そしてまた、港に入るという意味もあるそうです。海がしけて嵐になると船は港に逃げ込みます。そのように、困難が私たちを襲うようなときにキリストは私たちを安全なところに導かれるのです。「神は我らの避け所、いと近き助け」(詩篇46:1)とあるとおりです。


2,恵みに立つ

エス・キリストが私たちに与えて下さったものは、神との平和だけではありません。パウロは2節を見ると、「いま私たちの立っているこの恵み」と言っています。キリストの救いはローマまで伝えられ、多くの人が救われました。しかし、当時信仰を守ることは容易ではありませんでした。色んな困難があったであろうと思います。パウロもここで「患難」と言っていますが、多くの信仰の困難があったと思われます。
しかし、その事をも喜びとしたと言っています。そこには理由がありました。患難によって忍耐が生み出され、その忍耐から品性が生み出されると言うのです。ここに語られている「忍耐」はただ堪え忍ぶだけの受け身の忍耐ではなく、むしろ困難に果敢に挑んでいく、困難に打ち勝つという忍耐なのです。
そして、その忍耐が錬られた品性を生み出すとあります。どんな品性かというと、キリストに似た人格ということです。私たちもまた、キリストに似たものとされるのです。錬られるとは金属を溶かす用語です。真っ赤に焼けたるつぼの中に金属を入れて溶かすのです。不純物が浮かび上がりそれを取り除くと純粋な金や銀が得られるのです。私たちも、試練によって人格すなわち心が砕かれ、神の御前にあって不純なものが明らかにされ、取り除いていただくことができるのです。


3,聖霊の満たし

私たちに錬られた品性を与えて下さるのは聖霊です。聖霊が私たちの心に、神様の豊かな愛を注いで下さり、心の内にあるものを湧き上がらせて下さって不純なものを明らかにされ、取り除いて下さるのです。 今は聖霊の働かれる時代であると言われます。もちろん、この手紙の書かれたローマ時代も聖霊は豊かに働かれました。多くの殉教者が出ましたがそれを上回って救われる人たちが起こされたのです。キリストの救いはユダヤからローマへ、そしてローマから全世界に伝えられたのです。
私たちもまた聖霊に満たされ、神の愛を溢れるばかりに注いでいただいて、キリストを証しさせていただきましょう。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)