今ウクライナで、そしてパレスチナのガザで戦争が起ころうとしています。
心騒ぐような世の中にありますが、神様はペテロの手紙を通して、まず「心を整えよ」と私たちに勧められます。イエス様もマタイ24章で「戦争や戦争のうわさを聞く」「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がる」と言われましたが真にそのような状態になってきます。
しかし、これらはすべて生みの苦しみの始まりである。だから心を整え、すなわち神の前に襟を正して真摯に神に祈り求めなければならないときなのです。
1,互いに成すべきこと
① 熱心に愛し合う。
生ぬるいいい加減なものではなく、明確な愛をもって相手を愛することです。相手が愛してくれるから自分も愛すると言うのではなく、たとえ相手が愛してくれなくても愛する。主体性の愛です。キリストはそのように私たちを愛して下さいました。愛は多くの罪をおおうとありますが、カバーすることです。欠点をさらしものにするのではなく、相手の弱さを補い助けることです。
② もてなし合う。
接待をすることです。お茶の一杯でもサービスすることです。神様の祝福に漏れることはありません。アブラハムも天使と知らないでもてなし、イサクが生まれることを知らされ、ロトの救出も可能となったのです。神様の祝福に漏れることはありません。
③ 互いに仕え合う。
神様は私たち一人ひとりに賜物を与えておられます。賜物は比べあうものではありません。競うものでもありません。お互いの架けたところを補うためのものです。それぞれが助け合うためのものです。手と足の働き役割は違います。私たちもお互いの違いを認め合い、受け入れ主にあって助け合うものでありたいと思います。
2,神が力を与えて下さる
賜物は神様が与えて下さるものです。私たちはその管理者です。使うことを任されている者です。5タラント2タラント1タラント与えられた人の話をイエス様はされました。1タラント与えられた人は、他の人より少ない。そして彼は地面に埋めてしまったのです。なぜ銀行に預けなかったのか!と叱られ取り上げられたのです。
神様は私たち一人ひとりに賜物を与えて下さっています。私たちはその管理者なのです。それを活用する者なのです。神様は私たちにそれを用いて、互いに仕え合いなさいと命じておられるのです。教会はまさに、互いに愛し合い、互いにもてなし合い、互いに仕え合う場であるのです。
3,神をあがめる
与えられた賜物をどのようにして活用できるでしょうか。どのようにして奉仕できるのでしょうか。それは「神が備えてくださる力によって」とあります。備えて下さるという言葉は、費用をまかなう―お金を出すという意味があります。
必要なものは全部上げるから思うようにやりなさい。それで、私たちにはタラント賜物が与えられているのです。神様はそれを成す力をも私たちに与えられます。
ですから、私たちはまず神様に求めなければなりません。それは祈ることです。そして祈るために、心を整える、襟を正して神様の前に出て求めることです。
もし、願いが答えられたならどうするのか。すべてにおいてキリストを通して、神があがめられるためとペテロは言いました。「この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン」と祈ったのです。
私たちも神の栄光が現される者とさせていただきたいと願います。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)