柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰によるいやし」ヤコブ5章13-16節

私たちの肉体は万能ではなく、限りがあります。また、弱くなることや病気になることもあります。しかし、私たちには神様の恵み、癒しがあるのです。


1,苦しみに対する祈り

主の兄弟ヤコブは、苦しんでいるものは祈りなさいと勧めました。祈りは、神様との交わりです。私たちの思いを言葉にして、口に出して神様に言うことが、祈りです。苦しみに遭うと、私たちはつぶやきが出ます。何でこんなことになったんだろうか。何が悪かったのか。心の思いは、暗く下向きになってしまいます。
その時には、神様に祈ることです。自分の心の悩みやつらさ、不安、そして不満やつぶやきも神様に祈ることができるのです。
 私たちは、祈りを通して心の中にある重荷、苦しみ悩みを神様におまかせすることができるのです。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」(詩55:22)


2,病気の癒し

私たちは病気になると、まず、手短にある薬を使います。それでもだめなら、医者の手当てを受けます。
およそ2000年前のユダヤには、良い薬もなければ、今のように名医もいなかったでしょう。ほとんどの場合は、祈祷師やまじない師による治療、民間療法といったようなものでした。
クリスチャンも例外なく、病気になることもあったと思います。この箇所では、教会の長老を招くようにとあります(14)。教会の長老とは、簡単に言えば牧師と言うことになります。或いは、信仰に篤い人といえます。そのような人たちを招いて、祈ってもらうことです。その人に癒しの賜物があるかどうかは、まず別のこととして、祈ってもらうことが先決です。

(1)キリストの御名によって
祈りのときはかならずイエス・キリストの御名によって祈られます。なぜなら、キリストの名前には力があり権威があるのです。「使徒の働き」を見ますと、かならずイエス・キリストの名によって祈られ、いやされたり、また悪霊が追い出されている姿があります。

(2)オリーブ油を塗って
そしてもう一つ、ここに記されていることは、オリーブ油を塗って祈ってもらうと言うことです。その当時、オリーブ油は薬として用いられました。強盗に襲われたユダヤ人を介抱したサマリヤ人はぶどう酒とオリーブ油を使いました(ルカ10:34)。おそらく、痛みを和らげる効果があったのかもしれません。今でも、やけどを負った皮膚には油が使われます。
そして、あぶらは聖霊を象徴する言葉です。旧約聖書で油注がれたものが三人いますが、祭司、預言者、王、彼らは油注がれたものであり、聖霊に満たされてその働きをなすことが期待されたのです。
私たちの、病いのいやしにも聖霊は働かれます。聖霊は神であり、実は私たちを癒されるのは、万物を創造された神様が私たちを癒されるのです。


3,信仰によるいやし

15節には信仰による祈りは、「病む人を回復させる」と約束があります。回復の力が神様から、そして祈りによって与えられるのです。使徒パウロは、目の病がありました。彼は三度も祈ったのですが、目の病は癒されませんでした。ところが、神様は、私の恵みはあなたに十分であると言われたのです。そして、それは見事に表されました。彼は肉体的病いがありましたけれども、それにまさる喜びと、信仰の確信、そして復活の希望があったのです。私たちはいくら元気でも、やがて死ぬときがあります。私たちの望みは、天国であり、永遠のいのちに与ることです。パウロにはその確信があり、彼はその事を宣べ伝えたのです。そして、私たちも全く同じです。天国の希望を持ち、たとえ体が病いに冒されていても、永遠のいのちが与えられ、天国で生きる希望があるのです。悲しみや不安に打ち勝ち、乗り越えていくことができるのです。


4,祈りの力

祈りには、罪を赦す神の力が働きます。ユダヤの人たちは、病気の原因を「罪」から来ると考えていました。私たちも不摂生・不養生をしていると病気になります。いやしのためには、根本的原因を取り除き、平安が与えられ、打ち勝つ力、また意志が与えられることが大切です。
そのためにも、私たちは「互いに罪を言いあらわし、互いのために祈る」ことが必要です。その中に、神様の御業が現されます。


             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)