柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主の与えられる幸い」申命記11章8-12節

申命記は、モーセイスラエルの人たちを荒野で導き、約束の地カナンに入るときに、もう一度神の命令を語ったものです。 私たちも新しい年を迎え、どう生きるべきかをこのところから学びたいと思います。


1,神の命令を守る

イスラエルの民はエジプトから脱出して以来、神の命令に忠実に従ったとは言えませんでした。モーセシナイ山に上ったときも金の牛の像を作り、偶像礼拝を行いました。荒野を旅する中に不信仰におちいり、エジプトがよかったとつぶやき毒蛇にかまれて死ぬ者も多くありました。11日間の道のりのところを、40年間不信仰と不従順の故にさまようこととなったのです。
もし、彼らが忠実に、神の言われることに耳を傾け、従っていたらもっと多くの祝福にあずかり、豊かな生活をしていたことと思います。彼らは不信仰の故に受くべき祝福にあずかることができず、荒野を長くさ迷わなければならなかったのです。 それはまた、私たちの信仰生活にも当てはまるものがあります。私たちは、洗礼を受けただけで満足してはいけません。神様はさらにそれに優るところの恵みと祝福を与えて下さるのです。


2,神の助けを受ける

神様がイスラエルを導かれる約束の地は乳と蜜の流れる国(9節)と言われました。しかし実際には、瓦礫と赤茶けた土の荒野であり、みどり豊かな土地ではありません。現在も灌漑ををし、緑化政策が行われています。その結果、日本のスーパーでイスラエルのオレンジを買うこともできます。けっこう美味しいものです。
それはある意味、人間の努力の結果として表れてきているものですが、それ以上にまた神様の計画と預言されたことの現実があることを思います。
エジプトは文明の発祥地の一つであり、大変栄えていました。しかし、現在はどうでしょうか。世界に大きな影響を及ぼす国とは思えません。しかし、イスラエルは四国ほどの面積しかありませんが、世界はその動向に注目するのです。その行動如何によって、世界の情勢が変わるほどの影響力があるのです。それは単に、民族的・国家的以上のものがあると言えます。まさに、神が聖書で預言され全世界の救いのために用いられているものの一つであると言えます。
エジプトは文明が進んでいました。10節にあるように灌漑され、野菜畑が作られていたのです。しかし、それは人間の力、人間の努力を意味しています。人間が管理しなければやっていけないのです。
ところが約束の地カナンはどうでしょうか。11節には「天の雨で潤っている」とあります。それは人間の力が及ばない神の力によって養われる、生かされるという意味があります。人間の力では天候を変えることはできません。人間は自然自然界の前には無力であり、小さな存在です。しかし、神様はその自然をも支配し動かすことのできる方です。
私たちも、自分の努力で生きようとするのではなく、天の恵みをもって潤され生かされる必要があります。あくせく働き、目先のことで右往左往するのでなく、神様が豊かに与えて下さることを信じて感謝して生きることです。恵みに生かされる生活をすることです。


3,神は私たちを顧みられる

約束の地はどんなところでしょうか。それは、12節を見ると神が絶えず目を留めておられる地であるとあります。神様は私たちをよく見て下さるのです。子どもがこけてケガをするなら、それを見ている母親はすぐに駆け寄りだっこして子どもを介抱します。それと同じように、神様は私たちが苦しむことや悲しむことにも目を留めて下さり、慰めと励ましを与えて下さる方です。
三重苦の聖女と言われたヘレン・ケラーに優秀な家庭教師サリバン女史が付けられました。それは両親がクリスチャンであり、サリバン女史の信仰を見て決めたのです。様々な困難の闘いがありましたが、彼らは祈りによって乗り越えてゆくことができたのです。そしてヘレン・ケラーはその苦しみを乗り越えて世界中の人たちの希望となりました。
もし、信仰がなければ不可能であったと思います。彼らは信仰によって苦難を乗り越えることができたのです。私たちもそのことを学びたいと思います。信仰の試練の山や谷があっても、いつも天の雨で潤うが如く、神様の恵みに満ちあふれる。そして、年の初めから年の終わりまで絶えず神様が見守って下さり、苦しみのとき悲しみのとき直ぐに救いの手をさしのべて下さる。それを体験する一年でありたいと願います。


            (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)