柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「教会の土台」 1テモテ3章14-16節

今日は?テモテ3:14〜16を開きました。14節にはあなたのところに行きたいとパウロの率直な言葉が記されています。これは弟子のテモテという人に書かれた手紙です。彼は忠実でパウロによく仕える人でありパウロもまたテモテを我が子のようにかわいがっていました。テモテはパウロが伝道した小アジアのエペソというところで伝道牧会の働きをしていました。そのテモテに励ましの言葉を送ったのです。


1,教会は神の家である

教会は初めから会堂としてあったのではありません。家の教会からはじまりました。使徒たちが各地に散らばって伝道したときユダヤ人の会堂で福音を伝えましたけれども同胞のユダヤ人からは反感を買い伝道は困難でした。そしてついには異邦人に伝道することになりましたが、その拠点となったのは救われた人たちの家でした。ですからまだ教会の建物としては存在していなかったのです。教会とありますが原語ではエクレシア―召されたものの集まりという意味です。このところではまた、神の家とありますが、教会の一つの姿を現しています。家には誰がいるかというと家族がいます。クリスチャンはお互いを兄弟姉妹と呼びます。それは血のつながりではなく、信仰によって私たちは結ばれ、神によって命が与えられ、キリストの十字架によって新しい家族にされたのです。
ですから、初代の教会はたとえりっぱな建物がなくても信仰によって教会として成り立っていたのです。教会の必要条件は信仰です。信仰がなければ教会は立つことはできません。しかし、信仰があればたとえりっぱな教会堂がなくても教会として神の家として存在することができるのです。
そしてパウロはテモテに「神の家」での行動を注意することを示しました。行動とありますが別の言葉では生活するとも訳されます。すなわち生き方です。神の家でどのように生きるか。それは今までこの世に生きていた生き方とはちがいます。この世ではお互いの間に約束や決まりがあり、法律に基づいて生きることがあります。およそとんでもない生き方をすれば裁判で裁かれることもあるのです。この世ではこの世のルールに従うということがあります。それでは神の家での生き方とは何でしょうか。


2,敬虔の奥義―キリスト

神の家での生き方とは、すなわちキリストのように生きるということです。キリストはどのように生きられたか、それは16節に記されています。それは当時の賛美歌の一節でした。まだ聖書が確立していないなかに人々は賛美のなかでキリストをあがめ歌っていたのです。そこには大切な教えがあります。

(1)キリストの受肉
キリストは神であられましたが、この世に下り私たちと同じ人となれられて来て下さったのです。神は遠くにおられる方ではなく私たちの身近に共にいて下さる方です。

(2)キリストの十字架と復活
キリストの救い主しとしての証拠は、十字架の死と復活―よみがえりの命にあります。それは未だかつて、そして今後も誰もなしえない救いの業です。十字架と復活により、私たちに永遠の命を与えて下さいました。それはまさに聖霊のなせる業です。2000年たった今も、そして世界中で信じられている大いなる神の救いの業なのです。十字架と復活を信じて生きることが、神の家すなわち教会で活動すること生活することの根本なのです。

(3)天上の栄光
キリストはよみがえられた後、天に帰られました。私たちもやがて、この世の終わりの時があります。どこに望があるでしょうか。キリストが天に昇られたように私たちもやがて天の神の御もとに帰ることなのです。心配することも恐れることもありません。私たちのために十字架に掛かって罪を赦し、死のなかからよみがえられて私たちを励まして下さる主イエスが私たちを迎えて下さるのです。その時まで私たちは信仰によって生活するものでありたいものです。


                  (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)