柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「希望と信頼を持って」マルコの福音書13章28-37節

きょうからクリスマスを迎えるまでを「待降節」と呼び、歴史とは何かと言うことを思い巡らすときです。そして<世界の歴史は待望の歴史である>言うのが聖書の主張です。

旧約聖書は、メシヤの到来を待ち望む歴史が記され、新約聖書は、再臨の主を待ち望むようにと勧めています。従って聖書は、はじめから終りまで終末論・待望論で埋め尽くされている、と言うことができます。


マルコの福音書13章は、終末の模型であると言われます。


1.いちじくの木から学ぶ

さて、終りの前兆として、いちじくの木について語られています。毎年繰り返されるいちじくの木の自然現象が、なぜ<終り>のしるしなのでしょうか。それはこの自然現象のなかにこそ、神の摂理の時を見出すからです。それは、神の時は確実にやってくる、と言うことです。
ではなぜ「」なのでしょうか。ここに、人間の思い描く終りと、神の用意される終りの違いがあります。人間の思い描く終りは破壊であり、衰退です。ところが神が用意される終りは、収穫を意味しています。(参照 マルコ4:29 マタイ9:37)そして夏こそいちじくの収穫の季節なのです。
夏は、主によってもたらされます。人間には夏の到来を阻止することはできず、神によって決定的にもたらされます。このように終末は、人間的作為によって起こるのではなく、神の摂理によって起こるのです。しかも、人間的終末論は破壊でしかありませんが、神による終末は、破壊ではなく収穫です。ですから絶望の時ではなく喜びの時なのです。


2.その日その時

では、<その日はいつなのか>と言うのがわたしたちの関心です。
しかし、聖書には「天の御使いたちも子も知りません。32」と記されています。これはイエスの「子」としての父なる神への信頼を表しているのです。御子イエスでさえもこれほどの信頼を父なる神においておられるのに、小さな人間に過ぎないわたしたちが、この日を知ろうと詮索することは愚かであり、また不遜なのです。
神が歴史を審判されるとき、人類の救いの完成の時は「」の思いの中に隠されているものであって、それを人間が先取りして予想し、算定することは許されないのです。
終りの時についてだけでなく、わたしたちの人生に起こりくるすべての事について、父なる神のご計画の中に隠されているのであって、わたしたちが時を定めたり、結果を強要したりすることは許されていないのです。主ご自身が「子も知りません」と言って、父なる神への信頼を告白されたように、わたしたちも、恥じることなく、恐れることなく、<知りません>と語ることによって、神への信頼を告白すべきであって、占いや運勢などにこころを寄せるべきではありません。


3.わたしのことばは決して滅びない

ではわたしたちはどのように生きるべきなのでしょうか。いついかなるときも恐れずに生きるのが信仰者の生き方です。
 今の時を恐れなく過ごす根拠は、「わたしのことばは決して滅びることがありません。31」と言うことばにかかっています。この、主の「ことば」は、教会の使命のときとして生きることを促しているのです。
それは10節に、「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」と記されています。この「福音」とは、「わたしのことば 31」に他なりません。いまの時代が終わる日に猶予が与えられているとすれば、それは教会の宣教の時のためです。
 神は忍耐をもって、教会の宣教のことばが満ちるのを待っておられるのです。決して漠然と世の人の悔い改めるのを待っておられるのではありません。主の救いは必ず成就される、との約束に励まされ、教会は宣教の業に励まねばなりません。


4.目を覚ましていなさい

もうひとつ教会にとってできること、信仰者のしなければならないことは、気をつけて「目を覚まして」いることです。
その日、その時 33」は、神の時として、人間には隠されているのです。そしてこの事実に耐え、また信頼し続けるのがそもそも信仰なのではないでしょうか。この知らされていないことが、怠惰に過ごしてよいという理由にはなりません。なぜならこの中間の時は、教会の使命の時だからです。使徒1:6〜8を読んでみましょう。
主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは父がご自分の権威を持ってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。


目を覚まして、今のときを宣教のときと理解し、やがて来てくださる主に対する希望と信頼を新たにしましょう。


                            (説教者:柏原教会 協力牧師  岸本 望)