柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「ひとつの声をあげる」コリント人への手紙第一 1章11-17節

 聖書は暴露本のように遠慮なく語るところがあります。ピリピ人への手紙の中にも、教会の中の争いについて語るのを見ます。暴露本のようにと言いましたが、聖書の場合、暴露することが目的ではなく、そこから福音を語ることが目的であり、結果として回復と平和をもたらすためです。

(1)同じ心、同じ判断を 10節
 教会は、一致して、同じ心、同じ判断を保つようにと勧告します。このところをルタ−は「ひとつの声」と表現しているようです。「ひとつの声」とは信仰告白のことです。
 信仰告白という字は、元来「ひとつのことを言う」という意味です。すなわちイエスをキリストと信じるという、この一点において教会はひとつになるところなのです。
 しかし、人間の愚かさと罪深さのために、いつもひとつのになるということができないのです。コリントの教会の現状を憂えて、ひとつの声をもって神を礼拝するようにとパウロは勧告します。

(2)あなたがたの間には争いがある 11節
 コリント教会では、過去に導きを受けた指導者の誰を支持するかという争いが起こっていたようです。自分が導きを受けた指導者を慕うことは間違ってはいませんが、それによって争いが生じることは悲しいことです。
 教会といっても、一つ間違うと罪の性質をあらわにして、救いの経験や、誰からバプテスマを受けたかということを、争いの種にするものであることを知り、互いに心しなければなりません。

(3)十字架に付けられたのは誰か 13節
 では、教会が一致するために何を心に止めるべきなのでしょうか。それは、だれが私たちのために十字架に付けられたか、ということです。
 だれからバプテスマを受けたかは問題ではありません。教会が単なる人の集まりと化し、キリストの救いの恵みが忘れられてしまうなら、それは虚しいことです。教会は、イエスこそキリストですと告白し、ひとつの声をもって十字架の力をあかしする群でなければなりません。
 キリストの十字架によって罪赦され、新しくされた者たちによって、この罪に満ちた世界に、キリストの体である教会を建て上げてこそ、キリストの十字架の力があかしされるというものです。
 パウロは、コリント教会の争いについて語りながら、福音とは何かという問題へと話を展開していくのです。
 教会は、互いの力を誇示したり、競ったりするところではなく、十字架の力を、いつの時代にもあかししていく群でなければなりません。教会は、この一点のために自らを虚しくするところでなければなりません。バプテスマのヨハネは、主イエスについて『あの方は盛んになり私は衰えなければなりません』(ヨハネ3章30節)と語っています。私たちも、イエスをキリストと告白し、この一点に向かって声をひとつにし、堅く結び合って進みましょう。

                           (説教者:柏原教会協力牧師 岸本望)