柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「これを正月としなさい」 コリント人への第2の手紙5章17節

 聖書『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである』(コリント人への第2の手紙5章17節)


 時計の針はいつもと変わらず、同じ速度で時を刻んでいるのに過ぎないはずですが、12月31日を1秒越したとたんに「あけましておめでとうございます」といって、すべてが新しくなったとする生活の仕組みというのは、考えてみるとおもしろいと思います。年末、そして正月という、こうした時の区切りのおかげて、生活にも区切りをつけ、身辺を整理したり、心の切りかえを考えたりできるだろうと思いますから、その意味でもこの正月という機会を大切にしたいものです。


1.二つの暦
 ところで、自動的にやってくる暦の上での正月というだけでなく、私たちの人生における1つの区切り、実質のともなった正月、あるいは心の正月とでもいいましょうか、そのことのほうが更に大切なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 聖書の中に『これを年の正月としなさい』と、神さまがイスラエルの民に言われた記事があります(出エジプト12章2節)。これを言われた時というのは、太陽暦から言いますと4月頃だったようです。しかし、この時はイスラエルの歴史にとって、転機的な時でしたから、イスラエルにとっての「新生」という意味で、『これを年の正月としなさい』と言われたことでした。以来、イスラエルは民事暦と宗教暦との二つの暦を用いるようになりました。私たちも何も二つの暦を持つ必要はありませんが、あの時が私の人生にとって正月だったという、そういう人生の転機が必要なのではないでしょうか。そうでなければ、暦の上で年が変わっても、実質的には何も変わっていないからです。


2.イスラエルの正月
 さて、イスラエルにとっての転機的な出来事とは何だったのでしょう。
 その一つは刑罰からの救いでした。当時彼らはエジプトで苦役を強いられていたのでしたが、そこから彼らを救出させるために、神さまは非常手段を用い、エジプトに住む家畜をも含めたあらゆる初子を打つということを言われたのでした。それはエジプト全土をおおう神の審きを意味していました。しかし、イスラエルの民たちにだけは、それからまぬがれる方法を教えられたのです。すなわち、小羊を殺して、その血を家の入口の柱とかもいに塗っておくように、そうすればその家だけは、審きは過ぎ越していくということでした。彼らは実際にその通りにして、審きから逃れることが出来たのです。
 もう一つは、この過ぎ越しの事件は,彼らがエジプトにおける奴隷状態からの解放につながりました。異国における430年もの苦役の生活からようやく解放され、神さまが約束してくださっている国に向けて出発することができるようになったのです。『これを年の正月としなさい』と言われたのは当然でしょう。新生イスラエルの歴史の始まりだからです。


3.あなたの正月は
 ところで、あなたにとっての本当の正月はいつなのでしょうか。聖書によるならば、全ての人は神を離れて罪の中に生きているので、神の審きを受けなければなりません。逃れる道はただ一つ、私たちのその罪の身代わりとして十字架に死んでくださった小羊なるイエス・キリストを信じることです。
 また、罪やこの世の悪習慣、そして運命の奴隷になったままの主体性のない生き方では、本当の自分の歴史を生かしているとは言えません。神さまはそこから解放して、意味ある人生を歩むために与えてくださったのが、救い主イエス・キリストです。『だれでもキリストにあるならば(結ばれているならば)』、キリストが持っておられる豊かないのちが、内から働きはじめて新しい生き方が造られていくのです。
 本当の人生の正月は、ここから始まるのではないでしょうか。

(柏原教会牧師 川原崎 晃)