猛暑の季節、私たちは喉の渇き以上に心の渇きを覚えます。聖書は、イエス様が約束された「いのちの水」御聖霊が、心の奥底の痛みや悲しみ、誰にも言えない傷を癒やす方だと語ります。渇いた心に御聖霊が臨まれるとき、力が与えられ、心は新しくされ、生きる息を吹き返します。
ある青年は「結果を出して認められたい」と働き、教会でも奉仕に励みましたが、過労と人間関係の問題で燃え尽き「もう生きる価値がない」と自分を責めました。涙の祈りの中で「神様、空っぽです」と告白したとき、心の底に温かさを感じ「あなたは高価で尊い」と語られる神の愛に触れました。十字架によって赦され、冷たい砂漠のような心に御聖霊のいのちの水が湧き上がったのです。
イエス様が与えるのは池のように溜まる水ではなく、溢れ流れる川です。イスラエルのワジが雨季に豊かな流れとなり植物を生かすように、御聖霊の癒やしは一度で終わるのではなく、満たされた心が周囲へ愛・喜び・平安を流し出します。自分のことで精一杯だった者が、癒やされ、他者を慰め励ます「祝福の管」へと変えられていくのです。
では、どうすれば内側から溢れる御聖霊を体験できるのでしょうか。
第一に、自分の渇きを認めることです。「主よ、私は渇いています。癒やしが必要です」と祈ること。
第二に、イエスのもとに行って「飲む」こと─すなわち、イエス様を信頼し、みことばを心に受け入れることです。
心を開き「イエス様、私を満たしてください」と求める者に、主は惜しみなく生ける水を与えてくださいます。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)