キリストが「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」と語られた時、人々は「それでは、だれが救われることができるでしょう」といわずにはおれませんでした。そこでキリストは「人にはできないことが、神にはできるのです」と語られ、一人の金持ちの男ザアカイを救うことで神の全能を明らかにされました。
「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」というキリストの言葉には、ザアカイを救う神の全能による働きが二つ証しされています。
第一に、キリストがザアカイの家に「泊まることにしてある」ということは、救い主との邂逅をザアカイに与えるための、人の思惑を超えた神のご計画でありました。
第二に、神は「きょう」という日に御心を実現されました。「きょう」とは、昨日、今日、明日という流れの一部ではなく神の定められた救いの日をあらわしています。
ザアカイは、「背が低かったので、群衆のために」キリストを見ることが最初は叶いませんでした。背の低さと群集とはザアカイにとってキリストを見るための妨げ、マイナス要因であったといえます。しかし、それによってザアカイの「イエスを見よう」という気持ちはかえって強められたかのようです。人間の目から見れば、不都合なことやマイナス要因をも神は用いて、キリストとの出会いを実現して下さいます。それもまた神の全能のなせる働きといえるものです。
※聖書本文からの言葉については「 」書きで別フォントを用い太字にしています。
(宣教者: 服部喜望教会牧師 田上篤志先生)