柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊を欺かない」使徒5章1-11節

聖霊降臨日(ペンテコステ)以来、復活のキリストを信じて救われる者が多く与えられ、さらには持ち物を共有し、ひとりも乏しい者はなく、伝道の働きはますます盛んになりました。ところがここで一つの事件が起こりました。アナニヤとサッピラは神を欺き、たちまち息絶えたという恐るべきことが起こったのです。


1,サタンに心が奪われる

新しく信じた人たちの群れには一人も乏しい人はいませんでした。なぜなら持っている者は、財産を売り使徒の前に持ってきて、必要な人たちに分け与えたからです。
バルナバ(慰めの子)と呼ばれていたヨセフも畑を売って代金を持ってきて使徒たちの前に置きました。おそらく彼は人々から尊敬されていたでしょう。それをアナニヤとサッピラはうらやましく思い、名声を得ようとして彼らの持ち物を売り、使徒たちのところに持ってきたのです。ところが、彼らはとんでもない罪を犯すこととなったのです。
彼らがやった動機は最初はよかったと思います。持ち物を売り払い、代金を貧しい人たちに分け与える、これは幸いなことです。しかし、その中にサタンは巧妙に働きました。代金の一部をごまかしたのです。それを自分たちのために残して、ある部分を持ってきて使徒たちの足下に置いたのです。問題は、ごまかしたところにあります。これが全部ですと言いながら、一部は自分のために隠しておく、それが罪だったのです。おそらく、持ち物を売り払って大金を手にしたとき、サタンは彼らの心にささやいたのではないでしょうか。これだけ多く献げるんだから、少しは手元に置いていてもいいではないか。これは自分たちの金だから、どうしようといいではないか。そして、ごまかしたのです。
しかし、それは大変な結果となりました。ペテロの言葉を聞くやいなや、倒れて息絶えてしまったのです。
アナニヤは心の中で、たくらみ、人からの名声を得ようとし、そして同時に、自分のために蓄えて、自分の欲求―欲望をも満たそうとしたのです。それが、神を欺くことであり、神に対する罪であり、息絶えてしまったのです。残念な結末でした。
それは彼に始まったことではなく、旧約聖書ヨシュア記の中にも出てきます。エリコの城壁を打ち破り、勝利したイスラエルはアイという小さな町を攻めたのですが、多くの犠牲者がでました。それは、アカンと言う者が聖絶のものから、盗み偽って、神に対して罪を犯したからです。彼は石で撃ち殺され焼き滅ぼされました(ヨシュア7章)。


2,聖霊を欺いてはならない

問題は、金額の多い少ないではないのです。一部なのにこれが全部ですと言って、ごまかし嘘をついたことです。それは、聖霊を欺くことであり、神に偽ることであったのです(4節)。それはまた、神を試みることでもあったのです(9節)。聖書は私たちに、神を試みてはならないと言っています。荒野の旅でイスラエルの民は神を試み、多くの者が滅んでいきました。私たちも又、神を試み、聖霊を欺いてはならないのです。それによって、多くの人は命まで取られないにせよ、神から受けるべき祝福を失ってしまっているのです。日本のクリスチャンの寿命は2年か3年と言われているのは、そこに原因があるからではないでしょうか。
献金と言うこと一つをとっても、十分の一献金があります。旧約聖書を見ると、すべてのものは神様から与えられています。人間が作ったものは何一つありません。農作物にしても、土地、水、天候、そうしたものが備わっていないと豊かに実らないのです。神様がそれらすべてのものを与えてくださっておられるのです。そして、神様は、それらすべての十分の一は私のものであるとはっきり言われています。
その十分の一を献げて、生活が苦しくなったという人は一人もいません。むしろ、献げることによってますます祝福が与えられます。しかし、惜しんで、献げないことによって祝福を失い、乏しくなっている人もいるのです。
アナニヤとサッピラは、ささげ物をごまかし、神を欺き、そして命を失ってしまったのです。


3,神に対する畏れ

ペンテコステの日に教会は誕生しました。前回学んだように、4章では「心と思いを一つにして」「ひとりも乏しい者がなく」「主イエスの復活を非常に力強くあかしする」教会の姿を見ました。
しかし、アナニヤとサッピラは、見せかけの奉仕、と偽っての捧げ物をもって、自分たちの満足、欲望を満たすために人も神も欺いたのです。それは愛の共同体である共同体―私たち教会を破壊しようとするサタンの働きです。
この事件を通して、教会と聞いた人たちの心に神に対する恐れの念が生じ、彼らは悔い改めたことでしょう。キリストの救いはますます宣べ伝えられていきました。
今もサタンは働いているのです。これくらいのことはいいではないか。誰も知らないからと私たちを欺き、神から私たちを離そうとしているのです。私たちは、そのサタンに欺かれないように、そして何よりも、私たちのうちに住んでくださる御聖霊が私たちのうちにあって私たちを導き、神の喜ばれることが何であるかを悟り、神の御心を喜んで行う者とさせていただきましょう。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)