柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神のうちに生きる」使徒17章24-31節

日本人の多くは、キリスト教は西洋の宗教であると思っている人が多いと思います。しかし、もともとはアジアからヨーロッパに信仰が伝えられました。
最初にヨーロッパに伝道したのはパウロという人です。それは、彼が小アジア今のトルコで伝道していたときに、マケドニア(今のギリシャ)の人たちが「私たちを救って下さい」と叫んでいる幻を見たことから始まります。彼はヨーロッパに渡り、福音を伝えました。ギリシャの首都アテネでも福音を語りました。その内容が、今日の聖書の箇所です。


1,天地創造の主

アテネの町には至る所に偶像があり、人々はそれを拝んでいたようです。なんと「知られない神に」と言うような祭壇もありました。日本でも同じようなことがあると思います。いったい何だかわからないけどありがたく拝むというような信仰があります。
パウロは24節にあるように真の神は、すべてのものをお造りになった「天地の主」であると語っています。万物よりも遥かに偉大な方が、ご自分の造られた被造物によって、作られた宮に住むような小さな方ではないのです。宇宙より遥かに大きく、すべてのものを支配される方は人間の手で作ったものの中に住まわれるほど小さくはないのです。真の神様は25節にある如く「人の手によって仕えられる必要」のないお方です。私たちが、神様にお供えをしたり、お世話をする必要は全くないのです。むしろ、私たちを守り、いのちも息もすべてのものを与えて養って下さるお方なのです。


2,神のうちに生かされている

私たちは決して偶然に生まれ、存在しているのではありません。すべてのものは神によって造られ,神の手のうちにあるのです。ひとりの人とは、アダムのことであり私たちはその末です。歴史の時代の中を生き、またそれぞれの国や文化の中で生活しています。そのように神様は私たちを造られました。ですから、この世には様々なことがありおもしろいことも数多くあるのです。
しかし、その中でも神を求めること神を見いだすことができるとパウロは言いました。
天地宇宙、大自然の荘厳な姿を見るときに圧倒されることがあります。それはまさに神の御手の業であり、偶然に生まれたものではないのです。そのことを通しても、神の存在がわかります(ローマ1:20)。真の神は、人間の手で作られた金や銀或いは石の偶像ではありません。私たちを造られ、私たちを生かして下さる救い主であるのです。
そして私たちは、神の造られたもののうちに生きているのです。神によって生かされている存在なのです。


3,真の救い主に立ち返る

30節に無知の時代とありますが、それは神を神として認めない時代という意味であります。科学技術は進み、医学も進歩しています。
ところが人間は誤解をして、自分が創造主のように思い込み自分の力で解決できると信じてしまうところがあるのです。今の原発問題もこれで大丈夫だという人間のおごり、傲慢があったのではないかと思います。私たちに対する大きな警告であると思います。
30節で神は私たちに悔い改めを求めておられるとあります。私たちは、もう一度神によって造られたものとして神の御もとに立ち返らなければなりません。悔い改めとは神の方向に向くと言うことです。創造主である神を信じていなかった、神に背いた生き方をしていたということを改めるのです。
そして、神の愛と復活のいのちに生きることです。神は私たちの心を変えて下さいます。私たちの空しい殺伐とした心をも、救い主イエス・キリストは十字架の上で私たちのために苦しみいのちを捨てられるその愛を現してくださり、復活の希望によって私たちに将来を約束してくださるのです。


        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)