柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しく考える」ルカ5章33-39節

私たちの生きているこの世はめまぐるしく変化します。それに対して私たちはどのように対処するかによって生き方は変わります。新しいものにも柔軟に対処する心があると人生は豊かになります。


1,なぜ断食の必要なのか
ここで断食のことが出てきますが、二つの理由があります。一つはヨハネの弟子たちはヨハネが殺されたことを悲しんで断食をしていたということです。
もう一つの理由はパリサイ人の断食がありました。彼らは週に二度断食を行っていましたが、聖書によれば贖いの日に年一度だけ断食することが定められていました(レビ16:29)。しかしパリサイ人たちはそれを規則として行っていたのです。
しかし、イエス様の弟子たちは断食していませんでした。それには確かな理由があります。その前に、イエス様は断食しなかったかというと、断食されていたのです。サタンの試みに遭われるために断食されました(マタイ4:2)。そして新約聖書にも断食のことが出てきます。断食そのものは悪くありません。それは罪の悔い改めのためであり、身を清めるための一つの手段です。
エス様は花婿の譬えを語られました。結婚式の披露宴は楽しいものです。花婿が共にいるときに、飲み食いしないことはありません。それと同じように、イエス様が共にいる間は喜びの時であり、断食する必要はないのです。でも、イエス様が取り去られるなら断食する必要があります。また罪を犯し、神様が解らなくなるなら断食をし、身を聖別して「罪の赦し―全き救い」を求めるために、断食の必要があるのです。


2,つぎはぎは解決でない
エス様は「つぎぎあて」の話をされました。服を長く着ると虫が食ったり、繊維がすり減って薄くなり破れることがあります。今はほとんど見かけませんが、昔は「つぎあて」をすることがありました。今はおしゃれでパッチワークのように継ぎ当てをすることもあるようです。
古い着物に、新しい「つぎあて」をして洗濯すると新しい布は縮み、破れることがあります。駄目になってしまうのです。
私たちも、その場しのぎの「つぎあて」的な手当ではやがて、大きな試練が来たときには、まったく駄目になってしまう場合もあるのです。そうならないためには、私たち自身がまったく新しくなる必要があるのです。
新しいぶどう酒には新しい皮袋が必要です。なぜなら、新しいぶどう酒は発酵し皮袋が膨らんでいきます。古いものは弾力性がなく破けてしまいます。
新しいぶどう酒とは、イエス・キリストの救いを意味し、古い皮袋とは古い律法による生き方を意味しています。パリサイ人たちは、受けいれることができませんでした。古い律法に生き、それを全うして救われたいと願っていたのです。しかし、いくら断食をしたり、羊の犠牲を献げたとしても救われなかったのです。その生きかたが変えられない限り、つまり生きかたの考え方を変えない限りには救われないのです。私たちも救われるためにはどうするのか。新しく考える必要があります。


3,新しく考える―新しく生きる
今までの古いことにこだわらない、古い生き方に囚われないことです。パリサイ人たちはいつも自分の人生観・価値観で物事をみて判断していました。いわば自分が物差しであり、自分が他のものを計っていたのです。しかし、それは自己中心的な考え方であり、自分を救うものではありませんでした。人間は人間を救うことはできないのです。できるのは人間を造られた神様だけです。
私たちは、神によって新しくなることができるのです。「キリストにあるならばすべてが新しくなった」(?コリント5:17)と約束されています。
私たちも新しくされて、感謝と喜びのある人生を歩ませていただきましょう。

          (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)