柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「交わりの回復」第2コリント5章18-20節

今年は私たち柏原教会にとって、教会設立77年の記念すべきときです。

柏原の地に、英国からエレン・ドローシー・ホーア先生が日本伝道隊の宣教して来られました。先生は祈りの中で大阪の南部八尾が示され、数人の協力者と共に来られました。そして柏原に来られ、伝道を開始されたのです。今の家庭集会コイノニアの集まりのような「慰めの家」というのを組織され、あちこちで伝道されました。

礼拝にも大勢の方が集われましたが、太平洋戦争が始まり、強制送還されたのです。しかし、戦後婦人宣教師第一号として日本に来られるまで、東奔西走寝る間も惜しんで、伝道に生涯を尽くされました。過労で倒れられ、60を前に愛する主の御許に召され、日本の土となられました。それほどにして、主を愛され、日本を日本人を愛されたのです。

先生は、英国国教会の牧師家庭に生まれ、小さいときから聖書の言葉をいやと言うほど聞かされ、家庭礼拝によりしつけられました。しかし、御自身は信仰を持たれなかったのです。そのうちお父さんは、香港へ宣教師として渡り、現地で伝道旅行中に台風のために遭難し、召されました。そのとき先生は、お父さんの夢を見て、信仰の決心をされたそうです。更に、ご自分にも宣教師としての召命が与えられました。そして日本に来られました。伝道の鬼と言われるほどに、熱心にキリストを宣べ伝えられました。

教会が建てられ、77年守られたことは神の祝福です。人間的に言えば喜寿、喜びの年ですが、私たちは神様に感謝を献げ、更に心燃やされて伝道に励みたいと思います。

第2コリント5:20は先生のライフメッセージです。ホーア先生を通しての神の御心を知りたいと思います。


1.神の和解を受け入れる

先生の願いは、神の和解をこの世に住んでいる人が受け入れることでした。クリスチャンホームに生まれながら、先生自信はクリスチャンではありませんでした。信仰は個人の意志によるものです。家がクリスチャンだから自動的にクリスチャンになるものでも、天国に行けるものでもありません。私たちは神の約束に従って、イエス・キリストを救い主として受け入れる、信じることが必要です。ホーア先生は最初から受け入れていませんでした。聖書にペンキを塗るほどに、やんちゃであり、不従順であったのです。しかし、お父さんの死を通して命の重大さ、そして、神が自分のすべての罪を赦して下さることを体験されたのです。それは彼女の人生を大きく変えるものであり、それがまた私たちにとってもすばらしいものとなったのです。多くの霊的感化を与えられ、今日教会が建っているのも、神の計画であり、先生を通して与えられ神の恵みがあるのです。
なお幸いなことに、私たちは聖書を通して救いを知ることができます。神との和解とはなんでしょうか。18節に「神は、キリストによって、ご自分と和解させ」とあります。私たちは、生まれながらにして、神がわかりませんでした。真の神を信じることもありませんでした。全く自分勝手に、自分の都合のよいように、そして、自分だけ恵まれていたらそれでいいんだという生き方をしていたのです。そして、自分の思い通りにならないと、腹を立てて怒ったり、人を恨んだり、そして破壊的な行動、人を傷つけたり、はたまた自分自身を傷つけるようなものとなったのです。私たちは、生まれながらにして怒りの子であり、公正な神の前にさばかれるべきものでした。
しかし、私たちを造られた神は私たちをあわれみ、私たちを愛してくださっておられるのです。その証拠が、キリストです。
私たちを現実に愛するために、キリストはこの世に来られました。罪は犯されませんでしたが私たちと同じになられ、この世の人生を味わってくださったのです。
家畜小屋に生まれ、命を狙われてエジプトに下り、30年間ナザレの貧しい大工の子として成長し、3年あまり福音を伝えられました。貧しい虐げられる人の友となり、病める人をいやし、死んだ人をも生き返らせました。しかし、ねたまれ憎まれついには十字架に掛けられ殺されたのです。それは、私たちの罪を赦すためでした。私たちを罪の呪いから救うために、ご自分が十字架の上で罪の呪いを受けて死んで下さったのです。その十字架によって私たちは罪赦されたのです。それが、神からの和解のしるしなのです。証拠なのです。ですから、十字架は救いのしるし、癒しのしるしです。救急車にも赤い十字がついています。命を救うしるしです。


2.私たちはキリストの大使である

ホーア先生の墓碑にも日本で30年間キリストの大使であったと記されています。私たちは、ホーア先生ほどにはできないかもしれませんが、キリストを証しすることはできます。それは能力とか、力や賜物の問題ではありません。信仰の問題です。どれほど、イエス・キリストを信頼するかです。しかもそれは、18節の終わりを見ますと、和解の務めとあります。和解の務めは私たち人間しか、しかも罪を犯して赦された人にしかできない事です。神から赦された人、神に愛せられる人のできる特権なのです。それはどんなにすばらしい天使でもできない事です。神様によって赦された人ができるのです。ホーア先生もキリストの救いの意味を知らない前は大変なことをされましたが、神の愛を知ってからは大きく変えられました。それ故、人は神様の愛によって罪を赦されることがわかったとき、心が大きく変えられることができるのです。そしてホーア先生は愛の人となり、伝道の鬼と言われるほどに、ご自分の肉体を痛めてでも、他の人に救いの福音を伝えてやまない人でした。

願わくは私たちもキリストにあって神との交わりが回復され密にされて、愛の人となり伝道に励むものでありたいと思います。


                      (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)