柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「輝く生涯」 ピリピ2章12-18節

今日はピリピの手紙を開きましたが、ピリピとはギリシャの小さな町です。使徒パウロは、神様からの幻を見て、アジアからヨーロッパに渡り、キリスト教を伝えました。キリスト教は元々ヨーロッパの宗教ではなく、アジアから始まったのです。使徒パウロやキリストの弟子たちによって伝えられました。
ヨーロッパ最初の町がピリピでした。そこで紫布の商人の女の人や、占いの霊に憑かれた奴隷の女、牢屋の看守の家族などいろんな人が救われました。そして教会ができたのです。
ところが問題が起きました。彼らは一致できないということです。2節に一致を保ちと、パウロは言っています。4章の2節を見ますと、二人の婦人の名前も出ています。彼女たちも一致できなかったのでしょう。それがピリピの教会の課題でした。私たちも、そうしたことがあるかもしれません。自分と意見が違う人、考え方や好みが違う人とどのようにして一致できるようになるでしょうか、喜びのある人生となるでしょうか。


1.神に対して従順になることです

12節にその言葉が出てきます。パウロがピリピの町に来たとき、もちろん教会はありませんでした。川原で神様にお祈りをしていたのです。そこにひとりの婦人がやってきて彼と話をし、イエス・キリストのことを聞いて救われたのです。そして占いの霊に取り憑かれた女をいやしたとき、逮捕されました。その後神の御業がなされ、看守の家族は救われました。使徒16章に出てきます。彼らはむち打たれ、牢屋に入れられましたが、決して文句を言いませんでした。それは我慢していたからではありません。彼らの心には信仰がありました。イエス・キリストを信じる信仰です。パウロはかつて迫害者でした。しかし、その全ての罪を赦されたのです。彼は感謝しました。そしてキリストに従う新しい人生が始まったのです。牢獄の中でも彼は賛美歌を歌い、神様をほめたたえました。囚人たちも静かに聞き、また地震が起きたときも、だれも逃げないほどに神がおられたことを体験したのです。12節に恐れおののいて自分の救いの達成に務めなさいとありますが、神を畏れることが救いの第一歩です。今の時代ほど、神を畏れない、神を神と思わない時代はないと思います。パウロは恐れおののいて自分の救いを達成しなさいと言っています。まず神を神として、敬うことです。神様は必ず、解決を与えられます.パウロもそのことを信じて、勝利を得たのです。「つぶやかず疑わないで」神に従うのが最善の道です。


2.いのちの言葉をしっかりと握る

16節にあります。いのちの言葉を握ると、心に輝きが出て来ます。この邪悪な時代の中にあっても、いのちの光を持って輝くことができるのです。
私たちは自分自身で輝くことはできませんし、神様はそれを求めてはおられません。私たちはたとえて言うなら、月のような存在です。夜空に煌々と輝く満月も、自分で光っているのではなく太陽の光を受けて輝くのです。そして暗闇をも照らすことができるのです。
パウロはそのことを体験しました。彼は、すばらしい人でした。将来も嘱望されていました。国のトップリーダーでした。
しかし、「空は晴れても心は闇だ」と言う状態だったのです。何の喜びも満足もなかったのです。一生懸命すればするほどむなしくなる人生を歩んでいました。しかし、キリストに出会って、キリストに心捕らえられて人生が変わったのです。17節にたとえ注ぎの供え物となっても、とありますが、血を流して殉教してもという意味です。それでも自分は満足だ、本望だ、嬉しいと言っているのです。
それは、彼だけではありません。キリストを信じ、従うならだれでも、その喜びを手に入れることができます。ヨハネ8章を見ると姦淫の罪で捕らえられた女がイエスの元に連れて来られたことが出ています。パリサイ人たちはイエスがどう裁くか、試しました。そのときイエスは、まず罪のない人たちが石で打ちなさい。裁きなさいと言われたのです。だれも手出しできませんでした。最後に、イエス様だけになり、わたしもあなたを裁かない、罪を犯してはならないと言われたのです。
そしてその後に「わたしは世の光である。わたしにしたがってくるものは決して闇の中を歩くことなく、いのちの光をもつのである」と約束されました。それはイザヤが 60章19節 で「主があなたのとこしえの
光となりあなたの神があなたの輝きとなられる。」と預言したとおりのことが起こったのです。主は永遠の光、私たちの輝きとなって私たちを照らし明るくしてくださいます。


                       (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)