柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「恵みの確かさ」 マタイによる福音書1章1節、16〜17節

 様々な不条理・不幸・困難を経験する中で、人はイエス・キリストに現された神の恵みに出会い、その恵みの確かさに生かされる存在です。「イエス・キリスト系図」と言われる本箇所に、その根拠を見出すことができます。


Ⅰ.真実な神ゆえに

 『イエス・キリスト系図』との新約聖書の書き出しに、時や場所を越えた神の福音が秘められています。「系図(起源・歴史の書)」とありますが、続く1章と2章の表題、マタイによる福音書全体の表題、さらに新約聖書全体の表題といえます。イエス・キリストは架空の人物ではなく、実に歴史的な実在の人であることを宣言しているのです。『アブラハムの子孫、ダビデの子孫・・・』(新改訳聖書)とあるように、この二人の旧約の人物にさかのぼって、旧約の神の約束が成就したことを語っているのです。すなわち、祝福をもたらす救い主として(創世記12章2節)、真の王として(サムエル下11章12〜13節)現れてくださったのが、イエス・キリストなのです。
 さらに、この系図が14代ずつ、神の民が高められていく過程を歩んだ時代(2〜6節)、繁栄を見た神の民が衰退ていく下降の時代(6〜11節)、暗黒の時代が続く中でキリストを待望する時代(12〜16節)と三区分されています。そのような様々な歴史の変遷をたどりながら、神はご自身の民を導き、決して約束を忘れなさることなく、ついにイエス・キリストにおいて、全ての人に救いがもたらされたという信仰の告白をしているのです。神の真実をこの系図を通して言い表しているのです。
 この神の真実は、信仰者一人ひとりに慰めと希望を与えます。私たちの歩みは、浮き沈み、大きな波という中を通されますが、いつまでも変わることのない真実な神に導かれていることを確信したいものです(へブル13章8節)。


Ⅱ.愛の神ゆえに

 この系図の中に、四人の女性の名が記されています。アブラハムのサラのように模範的な賞賛に価する女性ではなくて、不義の罪を犯したタマル(3節:創世記38章)、異邦人であり遊女であったラハブ(5節:ヨシュア記2章)、神の祝福をいただけないと思われていた異邦人ルツ(5節)、姦淫の罪を犯したウリヤの妻です(6節:サムエル下11章)。『ウリヤの妻』と明記することにより、ダビデ王の姦淫と殺人の罪を容赦なく問いかけているのです。このように、罪人の代表者としてその名が記されているのです。
 異性に対しての節操のなさもさることながら、神に対する信仰の節操はどうでしょうか。また、良い王の後継者が必ずしも良い王となっていないことを知るときに、血筋にはよらない、どこまでも一人一人が神の前にどうであるかが問われています。
 しかし、全く罪のないイエス・キリストが、こうした罪人を救うために、罪人の一員として、そうした系統の中に入れられる必要がありました。まさに、「系図をもってしたる福音」と言えましょう。罪を悔いるところに、汚れを悲しむ涙を顧みて、そうした罪の大きさに勝る赦しの愛によって、私たちを神の家族の家計図の中に留めていてくださるのです。イエス・キリスト受肉のみか、十字架の救いによってのみ成し遂げられたことなのです。
 今年もアドベント、そしてクリスマスを迎えるに際して、この神の恵みの確かさに支えられて、神の家族の一員として、その歩みをさせていただきたいものです。私たちがつまずくことがあっても、決してつまずくことのない神が、恵みをもって導かれているからです。


                  (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)