柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「誰もが願う『誠実』」 エレミヤ書31章3節

(6月の地域コイノニア集会の説教)

 あるアンケ―ト調査によりますと、日本人の好きな言葉のナンバ―ワンは、「誠実」だそうです。さもありなんと思いました。あなたは、どんな言葉をモット−にしておられますか。辞書によりますと、誠実とは「他人や仕事に対して、まじめで、真心がこもっていること」とあります。そのとおりですが、時々、まじめで、真心のこもった仕事をしていたと思われていた人が、汚職をしたり、不倫をしたり。また、まじめな人が、真心をこめて勧めてくれた宗教が、とんでもないものであったり。正しく、陰ひなたなく、誠実であり続けることは容易なことではありません。
 さて、聖書の神は「真実な神」です。そして、その真実の根拠は、神の永遠の愛にあるというのです。


Ⅰ.具体的な実践をともなった真実
 私たちの愛も誠実さも、多くが口先だけ、抽象的になりやすいものです。「私は誠実の限りを尽くしてきた」と胸をたたいてみても、自分自身が泥をかぶらないようにして、どうにかやってきたというものです。
 しかし、愛の神が真実を尽くしてくださったとは、神が天の高い所で神であられるというのではないのです。人となられて、あなたを助け、真実の愛をもって永遠まで責任をとってくださるというのです。
 人の世界では「実は」と言って裏切られることがあるかもしれませんが、愛の神はご自分の約束は必ず成し遂げられるお方なのです。だからこそ、神が人となられるという超理性的な手段をもってご自分を現してくださったのであり、十字架にかかってくださったのであり、復活されて今も生きておられるのです。約束に対して、徹底して真実なお方なのです。


Ⅱ.一人ひとりに対する真実
 神の真実さは、十把一からげではなく、『あなたを』と一人ひとりに対して届けられるものです。
 一般に私たちの人間社会は、数が物言います。組織が、団体が、多数が幅を利かします。大勢集まれば、みんなの意見だから、みんなが喜ぶから―――と。教会もうっかりすると、盛大なイベントだったとか、成功したかに関心が集まって、一番大切な一人ひとりの救いの事が忘れ去られがちになります。
 聖書を読んでいますと、次の三つのことに気づかされます。①人間の抱える悩みや問題は、いつの時代、どこの世界でも変わらないということです。②愛の神の恵みと祝福の原則も、またいつの時代でも、どこでも変わらないということです。③愛の神は、いつも一人ひとりの魂を愛しておられるということです。確かに、イエス様のもとには大勢の人々が群がり集まってきましたが、主イエス様ご自身は、世界にその人しかいないかのような愛のこもった真実な語りかけとみわざをなさいます。このことは、今も変わらない主イエス様の姿勢です。


Ⅲ.最大の犠牲を払われた真実
 以前、「牧師さんだろう。人助けが商売だろう」と言われて、お金の無心に来られた方がありました。私は説教した上で追い返しました。しかし、今でも心に悔いが残っています。主イエス様は罪人のかしらであるこの私のために、黙って十字架の上に上がり、最後の一滴まで血潮を流して死んでくださり、私の身代わりになってくださったのですから。
 「誠実はテクニックではない」と言われた方がありますが、イエス・キリスト様の十字架の死は、テクニックではない、神の愛の真実が最大限に吐露されたのです。その真実な愛に触れ、ただ信じて仰ぐのみです。この真実な神の前に誠実に生きることが信仰なのです。
                      (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)