2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧
今日の私たちの信仰の歩みにおいて、聖(きよ)さを包み込んでしまう「愛の広さ」が問われています。それは、どうした中に育まれるでしょうか。 Ⅰ.キリストの側に立っているなら 38〜40節 『わたしの名のゆえに受け入れる者は』(37節)とのイエスの言…
「主の臨在に生きる」ことは、モ−セだけでなく、神のものとされた聖徒たちの神に対する積極的な希求であり、人間の魂の最深の要求を満たすものです。そして、私たちの教団創立時から拠って立ってきたみことばであり、耳慣れ、熟知しているものです。しかも、…
主イエスの十字架を見上げ、復活を信じていくとき、聖霊は復活の命を私どもに働かせて、その新しい命をもって全存在に生きてくださることを経験していきます。 Ⅰ.主の平安と喜びに支配される 19〜20節 主イエスは死んで葬られ、墓は封印され、そこから…
私たちは、主イエスの十字架についてあれこれ議論したり、学ぶことに留まらないで、十字架を仰ぎ見つづける中から、十字架の主の愛に引き付けられていくのです。そうした中から、キリストの愛に包み込まれていく経験をさせていだけます。その愛とは。 Ⅰ.執…
使徒行伝は「祈りの行伝」であり、随所に「祈りに忙しい教会」の姿を発見します。今週の聖書箇所にも、主イエスが昇天された後、弟子たちがエルサレムに帰り,、『屋上の間』で『共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた』(14節)と証言されています。 こ…